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「十字架を担うキリスト」

エル・グレコ (1585-90年ころ)

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 この作品は「ヨハネ伝」19章、「イエスは十字架を担い、ゴルゴタ(されこうべ)の丘へ連れて行かれた」を典拠としたものです。
 グレコらしい細長い首と顔を持ったイエスの頭に茨の冠が載せられ、それが本当に痛々しく、そこから流れ落ちる血は、彼自身の涙のようで、見ているこちらの胸にまで茨の棘が刺さるような気持ちになります。このテーマは、たくさんの画家によって描かれていますし、目新しいものではないかも知れません。しかし、ここには伝統的な図像表現を超えた象徴的な物語があります。
 ある意味で、実体を感じさせずにきたイエスを、これほど真正面からとらえ、その苦悩を表現し得た作品が、他にあっただろうか・・・と思います。
 暗く、不吉な空を背に天を見上げるイエスの眼の、特に白眼の部分の光と美しさ。そして、十字架を支える指の表情の、なんという繊細さでしょうか。赤と青の衣の対置も大胆で光沢があり、痛ましさを忘れて、その美しさに見とれてしまいます。

 エル・グレコは絵画を、自然の全現実を認識するための根本原理として、
「絵画が形や色彩を含めてすべてを判断することが可能な唯一の芸術で、あらゆるものの模倣を目的とする」
と語っています。光と色こそ、グレコの芸術を支える二大要素であるのですが、その色に関してグレコは、
「色彩の模倣こそ私にとってはもっとも難しい。なぜなら、みせかけのもので本物として賢者をも欺くのだから」
とも述べています。
 つまり、この困難さを克服したとき、絵画が表面的なものでなく、最上の芸術に達するということなのではないでしょうか。それほど、色彩に対するグレコの思いは深く強烈で、「ミケランジェロは人間は申し分ないが、着彩の術を知らない」と語ったと言われているほどです。
 この、色彩にこだわり続けたグレコの描いたイエスは、苦痛の中に在りながら、表現しがたいほどに美しくて、天を仰ぐその表情は、犠牲者というよりも、すでに神と一体化しようとする神々しさに輝いているようです。

★★★★★★★
マドリード、プラド美術館蔵



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