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「馬鈴薯を食べる人たち」

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ (1885年4月)

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「WebMuseum, Paris」のページにリンクします。

 一日の農作業を終えた一家が、夕食のテーブルを囲んでいます。
 ランプの下の貧しい食卓の主食は馬鈴薯だけ。あまり高くない声で、今日一日の出来事を、それぞれの表情で語り合っています。
「今日も忙しかったね」、
「少し腰が痛いよ」
など、いつもと同じ会話が交わされ、あとはカチャカチャ・・・と食器が触れ合う音、そして戸外の風の音だけかも知れません。
 貧しくて、その日その日を懸命に生きるだけで日々が過ぎてしまう農民たちの暮らしぶりが、淡々と描かれています。

 まだオランダに住んでいたころ、ゴッホは好んで農民や農村風景をテーマに選んでいます。ミレーに傾倒したと思われる作品も多く、彼の超生真面目な性格を考えると、もしかして、ミレーのような、農民をやさしく描く画家になりたかったのかも知れない・・・とも思います。
 その農民を題材にした作品の中でも、この「馬鈴薯を食べる人たち」は代表的なもので、人物の顔やゴツゴツした手の表情が力強く、リアリティーをもって迫って来ます。
 ゴッホはこの作品を、弟テオの誕生日プレゼントとして描いたそうです。これがプレゼント・・・と、ちょっと驚いてしまいます。タッチは重く、色調も暗く、テーマにも決してロマンティックな要素はありません。大切な弟のバースデープレゼントとしては、ふさわしくないんじゃないか・・・と感じてしまいます。
 このころ、ある牧師がゴッホの絵を見て、
「彼は決して明るいものを、我々が美しいと思うものを描かない」
と言っていますが、初期のゴッホの作品を見る限り、その言葉にはうなずかざるを得ません。

 しかし、この絵をじっと見ていると、気がつくことがあります。これは、農民たちの「聖餐」なのです。たった1つのランプの光に守られた食卓は、ユダのいない、農民たちの「最期の晩餐」の場なのです。
 パンの代わりに馬鈴薯を食べ、ワインの代わりにコーヒーを飲む、彼らの一日の終わりを示す聖なる晩餐の風景なのです。明日の甦りのための大切な儀式が、いつもと変わりなく今日も続いている様子を、ゴッホは非常に聖なるものとして描いたのではないでしょうか。
 だからこそ、自分を一番わかってくれている弟のテオに、この作品を贈りたかったのだと思います。

★★★★★★★
アムステルダム、 ファン・ゴッホ国立美術館蔵



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