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「医師ガッシェ」

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ (1890年6月)

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 ひじを付き、頬に手を当てて悲しげな表情のガッシェ博士は、伝統的な沈思、憂鬱のポーズで考え込んでいます。斜めに傾いた博士の姿勢と平行に赤いテーブルが走り、とても印象的な作品です。博士が手元に置いているのはジギタリスで、心臓病によく効く薬草ですから、ゴッホは博士への信頼と尊敬の念をもってこの肖像画を描いたと思います。

 ゴッホがオーヴェールへ移ったのは、このガッシェ博士の治療を受けるためであり、弟テオの口ききでした。そして、そのテオにガッシェ博士を紹介したのが印象派の父ピサロで、彼はパリでゴッホの絵を見た時、「ゴッホは気が狂うか、あるいは印象派を遠く置き去りにしてゆくのかどちらかだろう」と語った人物でしたが、ピサロの予言はどちらも当たったと言えます。

 ガッシェ博士によると、ゴッホはもともとの情緒不安定に加え、暗く冷たい北方から突然南フランスの強烈な光の中へ飛び込んだため、心身のバランスを崩したのだという診断でした。
 また、絵の具の展色剤であるテレピン油を少量ずつ体内に吸収していたことによる中毒も、ゴッホの狂気の要因であったとしています。

 しかし、ゴッホから見ると、ガッシェ博士は良き友、良き理解者ではあってもエキセントリックな面もあって、二人はしばしば衝突したようです。そして、博士の娘マルグリートへの結婚の申し込みもガッシェ家に大反対され、それは相当な痛手となって、さらに生への希望を奪う原因にもなったと思われます。

 孤独なゴッホが、最期の地オーヴェールで見つけようとした平安も夢に終わったという事実には、すべてしかたのなかったことだったとしても、やはり胸の詰まる思いです。

★★★★★★★
パリ、 オルセー美術館蔵



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