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「ひまわり」

カミーユ・ピサロ (1881年)

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 色彩がはじけ、奔流となったような、まぶしいくらいのひまわりです。しかも油絵の具をチューブから絞り出してそのままキャンバスに塗りつけたような迫力で、見る人は圧倒されてしまうと思います。アルルの強烈な日射しのシャワーを浴びたひまわりたちを、ゴッホはその画家としての生命をすべてたたきつけるかのように描いています。

 ゴッホの「ひまわり」と言えばあまりにも有名で、ゴッホはいつも同じ構図ばかり描いていると思われがちですが、それなりに変遷があります。
 彼はパリにいるときに、すでに何点かの「ひまわり」を描いていますが、花瓶に挿した状態で描くようになったのはアルルに来てからで、全部で7点描いています。
 そして、その数はなぜか3本、12本、14本に分かれていて、この作品は12本のものです。日本の東郷青児美術館の所蔵となったことで話題になった「ひまわり」は14本で、この作品の翌年に描かれています。この3、12、14という数字がゴッホの中でどういう意味を持っていたのかは分かりません。彼なりのこだわりがあったのでしょう。

 しかし、アルルの「ひまわり」が当時のゴッホの太陽崇拝、外光性といったものを象徴しているのは分かるのですが、この黄色の多用はどうしたことでしょうか。ひまわりの黄色、花瓶の黄色、そしてテーブルもまた黄色・・・。
 そう言えば、アルルに来てからゴッホが住んだ家も「黄色い家」と呼ばれ、その室内のベッドまで黄色でしたし、ゴッホが好んで描いた麦畑もまた黄金色でした。これは、やや異常な感じが否めません。パリからアルルに移り住んでからのゴッホは、その太陽や色彩の明るさのため、本来のウツ病とは正反対の、相当な躁状態になっていました。その「躁」を色として自然に表現したら、黄色ということだったのでしょう。
精神の高揚で、瞳孔が開いてしまったような状態のゴッホには、すべてが明るく、黄色にきらめいて見えていたのかも知れません。

 カール・ヤスパースは、その著書「ストリンドベルクとファン・ゴッホ」の中で、ゴッホの病であったと言われる精神分裂病は、それ自体、創造的な病気ではないと言っています。しかし、ゴッホの精神病が発現したアルル時代に重なるようにして、彼の絵画の様式が劇的に発展し始めたことに驚いています。
 常人では考えられない進歩が、病を得たことで加速したのだったら、やはりゴッホは天才の上をいく天才だったのかも知れません。「忘我」と言っていいほどの旺盛な制作の中で、彼は色彩的にも様式的にも確実に飛躍してしまったのですから。

★★★★★★★
ミュンヘン、 ノイエ・ピナコテーク蔵



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