• ごあいさつ
  • What's New
  • 私の好きな絵
  • 私の好きな美術館
  • 全国の美術館への旅

「庭のモネ一家」

エドワール・マネ (1874年)

ジャンプ

ここをクリックすると、作品のある
「WIKIART」のページにリンクします。

                     <ルノワールの描いた「アルジャントゥイユの庭のカミーユ・モネとその息子ジャン」>

 暖かい光の降り注ぐ庭で、ゆったりとくつろぐモネ一家です。花咲く木の根元に座ってポーズをとるのは妻のカミーユ、彼女に寄りかかって寝そべるのは長男のジャンです。その傍らで庭仕事に励むのが父親のモネで、このころからすでに花好きな画家の様子が微笑ましく伝わってきます。幸せな一家の情景がスナップ写真のような和やかさ、親しみやすさで描き上げられています。
 さすがに…と言うべきでしょう。マネならではの素早いタッチは、三人の雰囲気を的確にとらえています。仔細に見ると、人物はごく簡単な線で、まるでデッサンのようにササッと描かれ、それが風に吹かれるような心地よさを伝えます。光と大気の揺らぎが、そのまま素早い線によって表現されているようです。

 エドワール・マネ(1832-1883年)は、ある意味、非常に複雑な人物だったと言えます。
 パリの裕福な家に生まれ、早くから画家になる決心を固めていたマネは、恵まれた環境の中で上品な趣味のよさ、都会的で優雅な振る舞いとともに、皮肉っぽい性格を醸成していきました。そして、新しい絵画を開拓しつつ、一方ではサロンで認められることを非常な強さで希求し続けたのです。
 1870年代になると、マネは印象派運動の指導者と見なされるようになりました。しかし、確かに、彼は若い画家たちと親しく付き合い、さまざまな形で助力もしましたが、とうとう一回も印象派展に参加することはありませんでした。自らも前衛芸術家と見なされることは避けたかったのです。そういう意味では、あくまでも伝統的で公的な美術界の中からの改革者でありたいと考えていたのかもしれません。
 ところが、モネという名の若手画家が頭角を現したとき、サロンでの成功がかなわないこともあり、「私を真似るこの若造はいったい誰だ」と言って、自分とよく似た名前の画家に苛立ちを覚えたようです。のちには、モネの才能を高く評価し、生活を支えるほどに親密になる二人でしたが、知り合う前には、そんないきさつもあったというわけです。

 ところで、面白いことに、この作品を制作したとき、まだ無名の画家だったルノワールも一緒に、全く同じ情景を描いています。カミーユのポーズもジャンの姿勢も、おかしいくらいに同じなのです。ルノワールはモネと同い年で、生涯を通じた親友でしたから、モネのアルジャントゥイユの家にもしばしば招かれていました。この日は、マネと一緒に、モネの家族をモデルに制作していたのです。
 ところが、自分の作品を真似て描くルノワールを見て、マネは傍らのモネにそっと忠告したといいます。「あの子は才能がないね。君は彼の友達なんだから、早く絵をやめるように言ってあげたほうがいいよ」。
 のちに、画家として揺るぎない地位を築いていくルノワールも、「印象派の父マネ」から見れば、まだまだヒヨッ子だったということなのでしょう。

★★★★★★★
ニューヨーク、 メトロポリタン美術館蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎印象派
       アンリ‐アレクシス・バーシュ著、桑名麻理訳  講談社 (1995-10-20出版)
  ◎印象派美術館
       島田紀夫著  小学館 (2004-12出版)
  ◎西洋美術史
       高階秀爾監修  美術出版社 (2002-12-10出版)

 



page top