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「オランピア」

エドワール・マネ (1863年)

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 恥じらうことなくまっすぐにこちらを見据えた女性の、自信に満ちた表情を当時の人々は生意気だと感じたようです。
 しかし、実際にはむしろ、彼女のそのいどむような目の強さが魅力的に感じられます。そして、自らの存在への落ち着いた自負に輝いているようにさえ思えるのです。

 1863年に出品した 「草上の昼食」が世間にスキャンダラスにとり上げられて以来、この作品の発表をひかえ、やっと1865年のサロンに発表したものの、この「オランピア」は前例のない非難を浴びてしまいます。
 それは、この絵の中にある、あからさまな性的表現のためであると言われています。
 まず、フランス文学において「オランピア」は娼婦特有の名前であり、彼女の身につけているアクセサリーもいかにも官能的でエロティシズムにあふれているというわけです。髪に飾っているランは催淫力のある花とされており、イヤリングの真珠は古くから愛の女神のヴィーナスを象徴するものでした。
 さらに、ベッドに横たわっているのにサンダルを履いている様子も、彼女が娼婦であることを物語っていたわけです。メイドが持って来た花束は、おそらく彼女の「お客」から贈られたものでしょうし、メイドのさぐるような目つきは彼女の反応を窺っているようにも見えます。

 しかし、この作品からはなぜか下品な香りが感じられません。それは、この「オランピア」の主題が、長年の伝統にのっとったものであったことが大きな理由だと思います。
 横たわる裸婦というのは、当時崇拝されていたティツィアーノなどの画家たちが繰り返しとり上げてきたテーマだったからなのです。ただ、モデルのまっすぐな眼差しが、絵をショッキングなものにし、社会秩序を乱すものとされてしまったようです。
 そのためにマネは、友人のボードレールに、「侮蔑の言葉が僕に降りかかってくる」と書き送って、一時、スペインに身を隠してしまったほどだったのです。

 ところで、この作品のモデルをつとめたのは、ヴィクトリーヌ・ルイーズ・ムーランというプロのモデルです。のちに画家になりますが成功せず、酒に溺れて生涯を閉じました。
 それを思うと、この「オランピア」は、自信に輝くヴィクトール自身の、最高の記念碑的作品だったと言えるのかもしれません。まだまだ、女性が画家として独り立ちするには、あまりにも困難の多い時代でした。。

★★★★★★★
パリ、オルセー美術館蔵



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