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「ベルト・モリゾとその娘ジュリー」

オーギュスト・ルノワール (1894年)

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 とても爽やかな水色のドレスと同色の帽子で装い、ちょっと緊張気味にこちらを見つめる少女…彼女はジュリー・マネ、画家エドワール・マネの弟ウジェーヌの一人娘です。そしてもちろん、印象派の画家たちの憧れの女性であり、感性豊かで優れた画家でもあったベルト・モリゾの娘でもあるのです。つまり、ジュリーの傍らで横顔を見せる初老の婦人が、あのベルト・モリゾ…彼女は、この絵が描かれた翌年、インフルエンザを患い、急死します。

 ルノワールは、ベルト・モリゾが1886年からパリの自宅で親しい仲間を招いて催すようになった夜会の常連になっていました。彼は、モリゾを介して、詩人のステファン・マラルメとも知り合いになります。そして、95年にモリゾが急死し、すでに父親を喪っていたジュリーが16歳で孤児になったとき、マラルメやドガらとともに、ルノワールもジュリーの後見人となります。
 彼は、ジュリーの面倒を非常によく見たといいます。しばしばブルターニュでのバカンスに誘ったり、彼女の描く絵に助言を与えたりしていました。ジュリーもまた、父親に対するような温かい安心感と信頼をルノワールに寄せていたのでしょう。その日記の中で、ルノワールを愛情こめて語り、彼の絵画を絶賛しています。

 この作品の4年前、ルノワールはアリーヌ・シャルゴと正式に結婚し、長男ピエールを嫡子として認知し、この年には次男で後に映画監督となるジャンも生まれています。結婚式を挙げてからも、ルノワールはアリーヌとの私生活についてはほとんど語らず、ベルト・モリゾは、それをとても面白がって、盛んに話を聞きたがったといいます。そんな逸話を聞くにつけ、闊達で積極的な明るいモリゾに、困った様子で応対するルノワール、それを傍らから楽しそうに見つめるジュリー….という構図が目に浮かぶようで、微笑ましくなります。

 老化の早かったルノワールは、すでに部分的な麻痺を伴う顔面神経痛や持病のリューマチの悪化に苦しんでいました。しかし、ルノワールの流れるような美しい筆のタッチは、そんな自己の事情を一切感じさせません。この母娘との優しい関係だけが、見る者の心に静かに温かく染み渡っていくのです。  

★★★★★★★
個人 蔵



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