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「洗礼者ヨハネ」

レオナルド・ダ・ヴィンチ (1513-16年)

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 謎の多い作品です。誘うような瞳にドキリとさせられますが、もう一歩間違えれば勘違いな作品になってしまうところを踏みとどまっているのは、やはりレオナルドの力とセンスでしょうか。
 しかし、タイトルを見て戸惑いを覚える人は、多いことでしょう。本当にこれが、あの洗礼者聖ヨハネなのでしょうか。多くの画家が想像の翼を広げて描いてきたヨハネですが、こんな聖人の姿は見たことがありません。彼は、人差し指を天に向け、救世主の到来を予告しています。この手は、レオナルドがしばしば作品の中に描き込むことで知られていますが、洗礼者自身を象徴した表現であるとも言われています。

 聖ヨハネは多くの場合、やせ衰えて髪は乱れ、動物の毛皮をまとった姿で描かれます。
 彼は、エルサレムにある主の宮の祭司ザカリヤと、聖母マリアの血縁にあたるエリサベツとの間に生まれました。それは「マリアのエリサベツ訪問」で詳しく述べられていますが、受胎告知の後、聖母マリアは従姉のエリサベツを訪ねているのです。エリサベツは長い不妊のあと、神の力によって聖ヨハネを授かっていました。
 荒野で禁欲生活を送りながら説教をし、ヨルダン川の水でバプテスマ(洗礼)を施していたヨハネのもとへ、キリストもまた洗礼を受けに来ました。イエスが水の中から上がるとすぐ、天が避け、聖霊が鳩の姿となって下ってきました。そして、天から声が降り注ぎました。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。
 しかし、そんなヨハネも、領主ヘロデ・アンテパスの手で獄につながれ、その妻ヘロデヤの娘サロメの無分別な願いのため、処刑されてしまいます。そこにはヘロデヤの策謀があったわけで、兄弟の妻をめとったヘロデ王を叱責したことへの復讐のため、娘を利用して亡きものにしたのです。
 ところが、オスカー・ワイルドの「サロメ」では、ヨハネがサロメの愛を拒絶したため、自らの願いを叶えるために父王にヨハネの首を所望したことになっています。牢獄の庭で、刑吏から斬首したばかりのヨハネの生首を、盆を差し出して受け取るサロメを想像するとき、このレオナルドの描いた聖ヨハネの首であったら……と思わずにはいられません。それは、この上なく恐ろしく、そして、ゾクゾクするほど美しい光景ではなかったでしょうか。

 レオナルド最晩年の「洗礼者ヨハネ」は、葦の茎でできた十字架を手にしていることで、かろうじてそれとわかります。画家は、「モナ・リザ」「聖アンナと聖母子」とともに最後まで、この作品を手元に置いていました。注文主は不明ですが、もしかすると画家自身のための絵だったかもしれません。
 レオナルドは同性愛者だったとも言われています。いつも美しい弟子をそばに置いていましたから、この作品が弟子の一人をモデルにしていたという話には説得力があります。最も美しい弟子サライであるとする説が有力ですが、定かではないようです。レオナルド自身、若いころは絵のモデルをつとめるほど美しかったといいますから、ほかならぬ自分自身を描いたのかもしれません。そういえば、やはり彼自身ではないかと囁かれる「モナ・リザ」の面差しに似ているようにも感じられるのです。
 非常に旅の多い人生を送ったレオナルドでしたが、1516年、フランスのフランソワ1世の招きでアンポワーズ城近くのクルーに館を与えられ、やっと静かな生活を得ることができました。王との親交も深く、幸せな晩年であったようです。しかし、そんな中で描かれた洗礼者聖ヨハネは蠱惑的で、どこか挑発的で、少しも老いることのない画家の精神を象徴しているようです。そして、その笑顔はますます謎に満ちていくのです。

★★★★★★★
パリ、ルーヴル美術館蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋絵画の主題物語〈1〉聖書編
       諸川春樹監修  美術出版社 (1997-03-05出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
       高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎西洋絵画史WHO’S WHO
       諸川春樹監修  美術出版社 (1997-05-20出版)
  ◎イタリア絵画
       ステファノ・ズッフィ編、宮下規久朗訳  日本経済新聞社 (2001/02出版)



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