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「慈悲の聖母(ミゼリコルディア祭壇画)」

ピエロ・デラ・フランチェスカ (1460-62年)

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 こんなに暖かそうなマントで守られたら、どんなに安心して過ごすことができるでしょう。きっと、中世の人々も皆、そんなふうに思ったに違いありません。しかも、そのマントが聖母マリアのものであったなら….。これ以上の安らぎはありません。

 聖母の身に着けたマントの下に信徒が庇護されるという思想は、まずシトー会に採用され、のちにドミニコ会にもとり入れられました。その一般的な表現としては、聖母の右手側には男性、または聖職者、左手側には女性、または俗人が跪いて、合掌したかたちで表現されています。これは、全人類を象徴的に表わすため、男女、貧者、富者、聖職者、俗衆など、さまざまな人々が同じように聖母の庇護のもとにあることを示すためでした。
 ピエロ・デラ・フランチェスカは、このもっとも基本的な表現方法で、みごとな左右対称構図を実現してみせています。これはまさに、遠近法や数学に造詣が深く、『絵画の遠近法』などの著作も残しているピエロ・デラ・フランチェスカの面目躍如といったところでしょうか。この完璧なシンメトリイが、画面の静謐さをより一層高めているようです。

 中世の人々は、戦争やペストなどの災いは、すべて神の審判であると考えていました。だからこそ、聖人や聖母の庇護のもとに自らを置き、そうした災厄から逃れたいと願ったのです。「最後の審判」での、神の前でのとりなし役としての聖母の姿は人々に希望を与えますが、ここに描かれたような「慈悲の聖母」は、キリストを伴わずに表現された単独像であり、「ミゼリコルディア(慈悲)」の姿そのものなのです。
 そして、聖母は跪いて慈悲を乞う人々にくらべ、大きく描かれています。人として生まれながら神の母となった聖母マリアは、この世に生きてさまざまな災いに苦しむ者たちと神とを仲介する、唯一無二の存在だったからなのでしょう。

 作者ピエロ・デラ・フランチェスカは、15世紀ウンブリア派最大の画家と謳われています。ウンブリアはアッシジの聖フランチェスコの生まれ育った土地としても有名で、ウンブリア芸術といえば甘美でやわらかい、といった表現が一番ぴったりとくるようです。しかし、ピエロ・デラ・フランチェスカの絵画世界は彼独自のものであり、明晰な秩序をそなえ、輪郭線の極度な的確さと透徹した知性を感じさせます。画家の細心の注意、その行き届いた優れて美しい空間構成の中に、私たちはピエロにしか醸し得ない、トスカーナの陽光のような独自の静謐さを感得せずにはいられないのです。

★★★★★★★
ボルゴ・サンセポルクロ市立美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎キリスト教美術図典
        柳宗玄・中森義宗編  吉川弘文館 (1990-09-01出版)
  ◎西洋絵画の主題物語〈1〉聖書編
        諸川春樹監修  美術出版社 (1997-03-05出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
        高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎西洋絵画史WHO’S WHO
        諸川春樹監修  美術出版社 (1997-05-20出版)



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