• ごあいさつ
  • What's New
  • 私の好きな絵
  • 私の好きな美術館
  • 全国の美術館への旅

「モンテフェルトロ祭壇画」(ブレラ祭壇画)

ピエロ・デラ・フランチェスカ (1469年前後)

ジャンプ

ここをクリックすると、作品のある
「Web Gallery of Art」のページにリンクします。

 互いに視線を交わすことなく静かに瞑想する人々は、聖母子と天使を囲んだ聖人たちです。左から、洗礼者ヨハネ、聖ベルナルディーノ、聖ヒエロニムス、聖フランチェスコ、殉教者聖ペトルス、福音書記者聖ヨハネという順番です。そして、一人ひざまずくのは、注文主のウルビーノの君主フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロに間違いなく、その特徴的な横顔は彼の肖像画からも明らかです。
 フェデリーコはおそらくは、みずからの墓所のためにこの祭壇画を描かせたと言われています。甲冑に身を包み、傭兵隊長としての正装をしています。みごとな質感をもって輝く甲冑に、画家の並々ならぬ技量が見てとれるようです。ただし、彼の手は後世に修正されたか、描き足されたものと言われています。

 洗礼者のヨハネは、天使の導きにより荒野で隠遁生活を送ったのち、ヨルダン川でキリストに洗礼を施したことで知られています。
 聖ベルナルディーノは、フランシスコ会修道士で、苦行者・説教家としても知られています。そのすぐれた説法は、国じゅうで名声を得たと言われています。
 聖ヒエロニムスは、4年間、シリアの砂漠で隠修士として暮らし、数々の幻視を体験した人物です。長年にわたって旧約・新約聖書のラテン語訳を行ったことでも知られています。
 聖フランチェスコは、清貧・童貞・服従の3つの宗教的誓願を旨とするフランシスコ会の創設者として知られています。僧服の腰帯の3つの結び目が特徴です。アルヴェルナ山に引き籠もったときにキリストと同じ5つの傷痕が体にあらわれたと言われ、この作品でも脇腹の聖痕を示しています。
 聖ペトルスは、ヴェローナ生まれのドミニコ会修道士であり、異端者に対する仮借ない追及によって知られています。彼は、異教徒となったヴェネツィア貴族の財産を没収したことで恨みを買い、刺客の手にかかって殺されました。
 聖ヨハネは、キリストの十二使徒の一人であり、第4の福音書の著作者とされています。「最後の晩餐」で、キリストの懐に頭をもたせかけた姿で描かれることも多い人物です。天寿を全うしたと伝えられるため、このような白髪の老人として描かれたのでしょう。書物のアトリビュートも、聖ヨハネのものです。
 そして、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロは、イタリア・ルネサンス期のウルビーノ公国の君主です。傭兵隊長として活躍する一方、小国ウルビーノをよく守り、その寛容な人柄ですべての住民から慕われた人物でした。槍の試合で片眼を失ったとされ、そのため、ほとんどの肖像画が横顔で描かれていることはよく知られています。

 この作品は、「アンナレーナ祭壇画」、または「ブレラ祭壇画」、そして、寄進者の名をとって「モンテフェルトロ祭壇画」とも呼ばれています。
 画面の隅々にまで緊張の糸が張りめぐらされた如き正確な遠近法は、ピエロ・デラ・フランチェスカならではの美しさです。そして、聖母子を囲んで聖人たちを配したこうした絵画は「聖会話」と呼ばれますが、その完成度のい高さから、聖会話の最高峰とも言われています。
 明瞭な色彩、非の打ちどころのない精緻な筆致、そして、聖人たちの醸し出す深い精神性、抑えた感情の表現など、すべてがルネサンス期を代表する祭壇画として、今日でも揺るぎない評価を受けているのです。

 ところで、祭室の天井には、貝殻状の装飾が描かれています。そこから、おそらくは駝鳥の卵がすっと吊り下げられているのが目を引きます。これはまさに、復活を暗示しているのでしょう。そして、聖母の膝の上で死んだように眠る幼いキリストは、人類の贖罪によるキリストの死、つまりいずれ訪れる「ピエタ」が暗示されているようです。

★★★★★★★
ミラノ、 ブレラ絵画館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術史(カラー版)
       高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
       佐々木英也著  講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
  ◎ルネサンス美術館
       石鍋真澄著  小学館(2008/07 出版)
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎イタリア絵画
       ステファノ・ズッフィ、宮下規久朗編  日本経済新聞社 (2001-02出版)



page top