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「宰相ロランの聖母」

ヤン・ファン・エイク (1435年ごろ)

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 ブルゴーニュ公国の宰相ニコラ・ロランは、目の前に現れた聖母子に手を合わせています。同じ空間に存在するなどあり得ない図であり、ロランの幻視はあまりにも不遜なものにも思えます。
 現実の存在ではないだけに、聖母はどこか、この世の人ならぬ はかなさと高貴なオーラをたたえています。この佇まいに、画家の思いは凝縮されているのかも知れません。本来ならば守護聖人を伴うところを、聖母に比肩する大きさで対等に描かれるよう望んだ注文主に、画家は単純ならざる思いを抱いていたように感じられるのです。

 ニコラ・ロランは、百年戦争を終結に導いた「アラスの和議」を取りまとめた傑物として知られています。しかし一方、その莫大な資産形成に関しては、さまざまな噂のつきまとった人物でもありました。聖母子を礼拝する表情の不思議な冷徹さには、そのあたりの清濁が複雑に混在しているのかもしれません。彼は生まれ故郷のオータン大聖堂に、この誇らしい絵画を寄贈するため、ブルゴーニュ侯フィリップ善良公の宮廷画家であったファン・エイクに制作を依頼しています。

 ヤン・ファン・エイク(1390頃-1441年)は、アルプス以北でもう一つのルネサンスを自らの手で拓いた偉大な画家でした。兄のフーベルトも画家であり、並ぶもののない『ゲント(ヘント)の祭壇画』は兄弟の共同制作です。しかし、二人の修業時代に関しての詳細はほとんどわかっていません。殊にフーベルトについては祭壇画制作中、1426年ごろに早世し、ヤンがその後を引き継いだかたちとなったのです。
 ヤンは1425年、ブルゴーニュ公国のフィリップ善良公(在位1419-67年)の画家兼侍従に任命されています。彼は、豊かなブルゴーニュ公国宮廷内での芸術総監督的な存在であり、政治的実務にも携わっていました。しばしば、公の密使として遠方へ赴いたりもしていたようです。宮廷画家がこうした役割を担うのはよくあることで、バロックを代表するアントウェルペンの巨匠ルーベンスなどの活躍も知られています。

 ところで、室内にいる聖母子像という心温まる形式は、ヤンのつくり出したものでした。この作品の美しさも、慈愛に満ちた聖母と、丸々と太って健康そうな幼いイエスの可愛らしさが主役です。
 しかし、今まさに戴冠しようとする聖母の頭上の天使が、重そうに抱える宝冠の、なんと見事な美しさでしょう。手を伸ばせば、その冷たい輝きを放つ宝石や細工に触れることができそうな気がします。でも、これは、言うなれば「現実」を超えた「写実」なのです。ヤンが作り出す世界は決して人の立ち入れない、極上の洗練の極みなのです。
 さらに、私たちがここで驚かされるのが、高い位置から見下ろした、はるか彼方まで見渡せる風景描写です。この遠近法はイタリアの正確に計算された遠近法とは違っていましたが、それだけに、絵画的な現実感を伴います。
 アーチ型の列柱の向こうには二人の人物が立ち、眼下の川を見下ろしています。川には橋が架かり、たくさんの人が往来し、その向こうの小島には城が建ち、なんと窓の一つ一つまでが描き込まれています。さらに、対岸の家々にまでちゃんと窓が描かれ、緑の木々もきちんとそれと分かります。
 また、眼下の町並みも、なんという細密さでしょう。建物の壁の質感、聖堂の細やかな造り、そして、町なかを歩く人々の姿からは話し声や、一人一人の表情までも感じ取れるようです。
 ヤンの絵筆は、一体、どうなっているのでしょう。66×62㎝という決して大きくはない画面の中に、どうすればここまでの精緻な描写が可能なのでしょう。見つめれば見つめるほどに、あまりにも見事で完璧な絵画であり、私たちの目は画面の中にどんどん引き込まれ、やがて青みがかった山々の向こうに吸い込まれてしまうのです。

 ところで、城壁にたたずむ二人は、エイク兄弟だろうと言われています。赤いターバンの横顔の人物が、ヤン本人なのでしょう。署名がわりの楽しい工夫ですが、それ以上にこの二人は鑑賞者の心と作品を結ぶ、重要なポイントとなっているようです。

★★★★★★★
パリ、 ルーヴル美術館蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎キリスト教美術図典
        柳宗玄・中森義宗編  吉川弘文館 (1990-09-01出版)
  ◎西洋絵画の主題物語〈1〉聖書編
        諸川春樹監修  美術出版社 (1997-03-05出版)
  ◎週刊美術館 31― デューラー/ファン・エイク
        小学館 (2000-09-19発行)
  ◎西洋美術史(カラー版)
        高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎西洋絵画史WHO’S WHO
        諸川春樹監修  美術出版社 (1997-05-20出版) 



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