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「泉の聖母」

ヤン・ファン・エイク (1439年)

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 それは驚くほどに小さな、宝石箱のような絵画です。この作品を画像のみで見たとき、わずか19×12cmの板絵であると言われて、即座に信じることは困難に思えます。それほどに細やかで写実的で光に満ちた、ひそやかで親しみ深い、温かい聖母子像なのです。

 中世末期、ネーデルラントでは「デウォツィオ・モデルナ(新しき敬虔)」と呼ばれる信仰のあり方が人々の心をとらえました。それは、教会を仲介しなくても、私的な祈り、瞑想によって神との結びつきを得ようという教えであり、この作品もまた数多くコピーされて、信者たちの私室にそっと置かれていたと思われます。
 おそらく、ヤン・ファン・エイクはこうした小さな可愛い作品を数多く描いた画家だったのではないでしょうか。このように密やかで光に満ちた世界を表現するには、初期のころ、『トリノ・ミラノ時祷書』などのミニアチュールに従事したファン・エイクの、透明感のある色彩、精緻な描写は最適だったことでしょう。この美しい小さな作品を所持した人々は、私室で、そして旅行時の携帯用として、どんなに幸福でやさしい時間を過ごしたことか、と思います。
 ところで、愛らしい聖母子の傍らには小さな噴水が置かれ、清らかな水が湧き出ています。タイトルにもある「泉」は、装飾の施された噴水として表現されるのが普通だったようで、聖母マリアの持ち物…..特に原罪の汚れを免れた聖母マリアの持ち物とされています。霊的生命と救済の源泉が象徴されているのです。

 ヤン・ファン・エイクは、ブルゴーニュ宮廷のあった国際商業都市ブリュージュを代表する画家であり、15世紀ネーデルラント絵画の創始者とされる人物です。その修業時代に関しては殆ど不明ですが、1422年からハーグのホラント伯ヨハン・フォン・バイエルンの宮廷画家として活躍し、その後、ブルゴーニュ侯フィリップ善良公の従者兼宮廷画家となり、宮廷を離れてからも終生、善良公の寵愛を受けながら、活躍を続けるという幸福な画家人生を全うした人物でした。乾性油と樹脂やうすめ液を用いて油彩画法を改良し、あの細密な技法、透明感に満ちた美しい色彩を確立して、初期ネーデルラント絵画に革新をもたらしたと言われています。
 しかし、このイタリア・ルネサンスに比肩し得る技法を生み出し、透徹した写実、奥行きをもった空間表現で現代の私たちをも魅了し続けるファン・エイクが、はじめて油彩技法を確立し、絵画の新しい扉を開いた画家であるという事実には、なんとも目眩を感じます。最初….というものは、たいていの場合、どこか稚拙なはずであり、未完成なものであり、改良の余地を充分に感じさせるものです。しかし、ファン・エイクの絵画は、いつも胸が痛くなるほどに完璧で、親密で美しく、そしてこの上なくチャーミングなのです。

 この愛らしい聖母子もまた、500年以上経った今でも、生き生きと温かいぬくもりに満ちています。手を伸ばして触れれば、聖母の柔らかいマントの質感、幼いキリストの輪ゴムをはめたような手首のぷっくり感さえもはっきりと感じることができそうです。現代に生きる私たちは、やはりあらためて驚きとともに、ファン・エイクのこの上ない天才を思わずにはいられないのです。

★★★★★★★
ベルギー、 アントウェルペン王立美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎キリスト教美術図典
        柳宗玄・中森義宗編  吉川弘文館 (1990-09-01出版)
  ◎西洋絵画の主題物語〈1〉聖書編
        諸川春樹監修  美術出版社 (1997-03-05出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
        高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎西洋絵画史WHO’S WHO
        諸川春樹監修  美術出版社 (1997-05-20出版)



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