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「ラ・ジャポネーズ」

クロード・モネ (1876年)

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 扇子をかざして微笑む金髪の女性の、屈託のない笑顔がやや不思議な印象を与える作品です。そう感じるのは、欧米人が持つ日本のイメージと、実際に日本に暮らす者との感覚のギャップかもしれません。しかし、すぐに、理屈抜きに楽しそうな、そしてチャーミングな女性の迫力に、そんな違和感は、まあ、どうでもいいか…という気にさせられてしまいます。

 この作品は、よく指摘されるように、当時流行していたジャポニスムの影響を深く受けた作品です。ジャポニスムとは、19世紀中ごろから西洋で起こった日本趣味の一つの現象を指しますが、当時の芸術家たちは、しばしば自分の表現手段に、この日本趣味を取り込むことが多かったことで知られています。長い鎖国政策ののちの、万博などでの日本美術・工芸品の紹介、また大量の日本美術の海外流出は、ヨーロッパの人々に新鮮な衝撃を与えたようです。
 印象派仲間のドガやホイッスラーなども浮世絵から多くのインスピレーションを得ていましたが、モネ自身も、熱心な浮世絵のコレクターとして知られています。ゴッホのコレクションはもちろん有名ですが、モネもジヴェルニーの自宅では、食堂の壁に浮世絵を飾っていたといいます。
 この作品は、モネが豪華な打掛に魅せられて描いたものだと言われています。そのくどいほどの模様を見ると、芝居に使用された舞台衣装としての打掛かもしれません。そして、彼女のポーズも、ちょうど菱川師宣ふうの「見返り美人」を意識しているようで、床や壁に描かれた団扇も華やかで、確かに、どこをとってもジャポニスム…という感じがします。
 ただ、モネ自身は晩年、あまりにも当時の流行に乗りすぎてしまった、との反省があるのか、この作品をあまり高く評価していなかったようです。屋外の光を色彩でとらえ、やがて刻々と移り変わる光を追い続けたモネにとって、室内で描いた鮮やかな色彩は、どこか本当でないとの意識があったのかもしれません。
 しかし、そんな画家の思いとは別に、この打掛の、綿入れとも呼ぶべきぼってりとした厚み、質感表現のみごとさには、しばし目を奪われます。そして、そこに施された日本刺繍の、少し盛り上がった細やかな表現を仔細に見るとき、その技量の高さに驚かされるのです。本物…と言ってしまう以外にはない写実的な描写、繊細な筆遣いに、私たちはモネの真の実力を垣間見てしまうのです。そこには、「印象派の画家クロード・モネ」という当たり前の認識とは違う、天才モネのもう一つの側面が立ち現れるのです。

 ところで、「ラ・ジャポネーズ」は、その10年前のサロンで好評を博した「カミーユ ― 緑衣の女」の対画作品として制作されたと言われています。つまり、この女性は妻のカミーユなのです。モネのためにポーズをとったカミーユは、金髪のかつらをつけているのです。長時間、このポーズでいることは、相当つらい務めだったでしょう。それでも、カミーユは微笑み続けていたのでしょうか。それを思うと、胸がツンと痛くなります。
 カミーユという女性は、いつもこうして、モネのために微笑みを絶やさなかったのではないかという気がします。貧しい時期も、モネの父に結婚を反対されて未婚のまま長男のジャンを産んだときも、そして、病を得、死を覚悟し、夫が別の女性に心を移していくのを感じていたときも……。
 それにしても、モネは何故二つの絵を対画にしようと考えたのでしょう。ポーズは似ていても、二つの絵はまるで印象が違います。嬉々としてこちらを振り返る「ラ・ジャポネーズ」とは違い、「緑衣の女」は目の前を通り過ぎようとしている三人称の女性です。彼女は目を伏せて、こちらをふと気にかけたようにも見えますが、おそらくこのまま、見知らぬ他人として行き過ぎてしまうでしょう。

★★★★★★★
ボストン美術館蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎印象派
       アンリ‐アレクシス・バーシュ著、桑名麻理訳  講談社 (1995-10-20出版)
  ◎印象派美術館
       島田紀夫著  小学館 (2004-12出版)
  ◎西洋美術史
       高階秀爾監修  美術出版社 (2002-12-10出版)
  ◎西洋絵画史who’s who
       美術出版社 (1996-05出版)

 



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