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「ルーアン大聖堂、扉口」

クロード・モネ (1892年)

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 光によって面をとらえたような、現実の建築物でありながら今にも崩れゆく夢の城のような、画家の苦闘の跡を感じさせる大聖堂です。

 モネの関心はただひたすら、自然がもたらす色彩と光の妙に向けられていました。しかし、それらは絶え間なく変化し、モネを苦しめます。自然は一時も止まることがないのです。静止した画面にその変化を描き出すことは困難で、それが何よりも画家の苦悩となりました。
 そんなモネの脳裏にひらめいたのが「連作」の構想です。時間や天候によって刻々と変化する光や色彩も、連作にすることで確かにとらえることができると考えたのです。二人目の妻アリスや娘シュザンヌにも恵まれ、経済的にも安定した1890年ごろから、モネは意識的に連作に取り組むようになります。それは、終の住処となるジヴェルニーの家の周辺で見つけた「積みわら」「ポプラ並木」、そして晩年の「睡蓮」連作へと発展していくわけですが、この「ルーアン大聖堂」も重要な連作の一つでした。
 1892年から93年の晩冬から早春にかけて、モネはフランス北西部の古都ルーアンに滞在し、約30点にのぼる大聖堂を描いています。ルーアンは、今でこそ学生の町として有名ですが、中世からの古市であり、百年戦争で捕虜となったジャンヌ・ダルクが火刑に処せられたのもこの町でした。歴史的建築物の多いルーアンでも、ひときわ高い尖塔を誇るルーアン大聖堂はゴシック建築の代表として知られ、その威風堂々たる姿はモネをいたく感動させたようです。
 画家は、大聖堂向かいの建物の2階に部屋を借り、夜明け直後から日没直後までのさまざまな時間帯、天気のよい日も悪い日も、魅入られたように描き続けたのです。古来、画家が同じ構図の作品を複数描くのは決して珍しいことではありませんでしたが、これほどに一つのモチーフを追求した画家は少ないかもしれません。
 ところが、理想のモチーフに出会いながら、モネは苦闘し続けたようです。青やバラ色、黄色の大聖堂が自分の上に崩れ落ちてくる悪夢にうなされたり、日々新しい発見をしながら、絵に手を加えることで何かを失ってしまう思いに苦しめられました。大聖堂は画家の心も知らず刻々と表情を変え続け、それを追う画家の手によって、瞬間の集積のごとくバラ色に、褐色に、青にと、絵の具は厚みを帯びていきました。

 この作品はその中の一点で、曇りの日の大聖堂を描いたものです。連作の中でも比較的しっかりとした形でとらえられていますが、光を浴びて、ほとんど大気に溶け入ってしまいそうな作品もあります。しかし、モネは光の変化を追い求めながら、ルーアン大聖堂そのものを描くことにも喜びを見出していたに違いありません。だからこそ、形態は曖昧であっても、それが中世のゴシック聖堂であることを見る者にはっきりと印象づけています。
 95年5月、デュラン=リュエル画廊において、20点の大聖堂の連作で構成された展覧会を開いています。

★★★★★★★
パリ、オルセー美術館蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎印象派
       アンリ‐アレクシス・バーシュ著、桑名麻理訳  講談社 (1995-10-20出版)
  ◎印象派美術館
       島田紀夫著  小学館 (2004-12出版)
  ◎西洋美術史
       高階秀爾監修  美術出版社 (2002-12-10出版)
  ◎西洋絵画史who’s who
       美術出版社 (1996-05出版)



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