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「ユピテルとアンティオペ」

ジャン・アントワーヌ・バトー (1715年)

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  「天なる父」ローマの主神ユピテルは、ユノという正妻がありながら、多くの女神や人間の女性たちを誘惑して、数え切れないほどの子供をもうけている「懲りない」神でした。
 そのユピテルが今度は、テバイの摂政の娘だったアンティオペを見初めてしまいます。ユピテルは森の精サテュロス(半人半獣の森の神)を装い、眠っているアンティオペの背後から近づき、彼女の美しい裸身に見とれている…これは、そんな図なのです。
 横に長い楕円のなかに描かれた二人の人物を前景に大きく扱い、中景をほとんど省略して、遠景にはのどかな田園風景と家々、そしてもっと遠くには山の稜線と開けた空がのぞめます。

 この美しい作品は、19世紀半ばにルーヴル入りしますが、来歴など詳しいことは全く知られていません。他に、『ニンフとサテュロス』と題されることもありますが、サテュロスもまたニンフを追いかけ回してばかりいる好色神でしたから、その別称も十分にうなずけるところです。
 ヴァトーは雅宴画や芝居絵はもちろん、こうした神話画やまた裸体画も多く扱いました。そして彼の描く、雲の浮かんだ空、雪をいただく遠い山々、たたずまいのやさしい木々….などは、その人物に負けず劣らず魅力にあふれています。

 しかし、18世紀の偉大な古代物蒐集家で博学者の一人であるケイリュス伯爵は、ヴァトーが小画面には巧みでも、英雄的なもの、寓話的なもの、また相当な大きさを持つ人物は描けなかったと非難しました。確かにヴァトーの描くものは、英雄的でも寓話的でもありません。ここに眠るアンティオペにしても生身のたおやかな肢体を持つ女性ですし、それをのぞきこんでいるサテュロスにしたところで、市井のごく普通の好色オジサンの雰囲気です。
 でも、あえてヴァトーが、英雄的、寓意的なものを描く必要があったでしょうか。そもそも「英雄的」というのはヴァトーの資質とは無縁のものでしたし、ましてやロココ絵画においては、言わずもがな…です。そして、「寓意的」というのが、ナポレオンやルイ14世の神格化された表現のことを言うなら、そういったものが得意な御用画家にお任せすればいいわけなのですから….。

 ヴァトーは我が道を歩き続けた画家でした。なんの後ろ盾もなく、下積みの売り絵描きとしてその日その日をしのぐほかなかったころから、王立美術院の正会員として迎えられてからも、彼は終生自分の家を持たず、妻も持たず、自分の作品にも執着せずに、転々と暮らして、世俗的成功にはいっさい無関心のままでした。人知れずひっそりと生きて描くことだけが、彼の唯一の望みだったのです。

★★★★★★★
パリ ルーブル美術館蔵



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