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「ユディト Ⅰ」

グスタフ・クリムト (1901年)

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 この作品のモデルとなったユディトは、旧約外伝中の、紀元前160-100年頃に書かれた『ユディト書』に出てくる女性です。彼女は、ベツリア包囲中のアッシリアのネブカドネザル王の将軍ホロフェルネスの陣営に自らすすんで入り、敵将ホロフェルネスを油断させて、そのすきに首を切り落とし、民族の運命と同胞を救った女性なのです。

 史実…と言うよりは多分に物語的要素の強い逸話なのですが、脇にホロフェルネスの首をかかえている様子を見ても、これは首を切り落とした直後の表情ではないかと思われます。クリムトは1909年にも同じテーマで『ユディト Ⅱ』を描いているのですが、その作品の劇的な緊張と忘我の姿に比べると、このユディトの恍惚とした艶めかしい表情は、違う意味であまりにも強烈な印象です。
 本来ならば、おそらく、寝所で情を交わしたのちにホロフェルネスを殺したわけですから、彼女はいま、内面の名状しがたい感情の起伏に苦しんでいるはずです。それなのに、この表情…右眼はほとんど閉じ、左眼はわずかに開きながらも瞳は定かなものを捉えているわけでもなく、少し開いた唇から白い歯をのぞかせて、夢の中でまどろみながら微笑んでさえいるようです。
 透けた衣装を身につけ、顎を少し上げて…官能的というよりももっと濃密な性的雰囲気は、いかにもクリムト…世紀末の気分が息苦しいほどに漂っていると言っていいのかも知れません。

 クリムトが生きた時代のウィーンは、一個の世界都市でした。1900年には人口が200万人を越え、電燈が普及し、蒸気機関車が走り…。そして、シェーンベルクは26歳、マーラーは40歳、シュニッツラーはクリムトと同じ38歳、ツヴァイクは19歳… ウィーンの文化は爛熟し、絶頂を極めつつあったのです。そして、人々はまだ没落の予感さえない快楽と繁栄を享受していたのですが…クリムトはすでに、おそらく無意識にではありましたが、ハプスブルク王朝のゆるやかな内部的腐食、そしてその死と崩壊を予感していたのかも知れません。

 彼女は…このユディトは、民族のため、その存亡の危機に一命をなげうった救国の女性…という意識など持っていなかったかも知れません。憂鬱と淫蕩、そして恍惚と絶望のはざまで、ひたひたと押し寄せる濃密な死の香りに酔い、ゆっくりとそこに身をひたしているように思えるのです。

★★★★★★★
ウィーン、 国立オーストリア美術館蔵



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