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「エミリー・フローゲの肖像」

グスタフ・クリムト (1902年)

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 ブルーを基調とした流れるように装飾的な衣装を着こなしてスッキリと立つこの女性は、クリムトにとって一番重要かつ一番長く付き合った女友達エミリー・フローゲです。夢の国の貴婦人…そんな感じで腰に手を当ててポーズをとるこのエミリーは、都会的で知的な雰囲気を連想させますが、実際の彼女も機智に富み、頭の回転の早い美しい女性だったそうです。

 エミリーは、当時、マリアヒルファー通りに『フローゲ姉妹』という有名なモード・サロンの店を出していたフローゲ三姉妹の末の妹でした。姉のヘレーネはクリムトの弟と結婚していましたから、クリムトにとっては義理の妹ということになります。
 クリムトもエミリーも、生涯ついに結婚することはありませんでしたが、それは自分の作品の制作に打ち込むことに自我の全てを捧げ続けなければならなかったクリムトへの、エミリーの愛情の深さを物語っている気がします。彼女によってクリムトは、いつもくつろぎと新たな制作意欲を与えられていたと言ってもいいかも知れません。クリムトの自由を奪うことなく、いつもそばにいて、時には喧嘩をしたり仲直りしたり、冗談を言い合ったりしながら愛を与え続けたエミリー….。彼女にとって、世間の誹謗、中傷を逃れてアッター湖の周りの森や野をクリムトと二人で散歩するときが唯一のくつろぎの時間だったのかも知れません。

 そんなエミリーへの愛と感謝をこめて描かれたこの作品は、もっと華やかで装飾的だったものが、最終的には背景を塗りつぶして抑えた雰囲気に仕上げられ、エミリーはブルーの世界に深く静かに溶け込んでいます。そして、彼女の肩から頭部にかけて描かれたやさしい花たちは、まるで仏像の光背のようにエミリーを輝かせ、クリムトがその手に包み込むように彼女の目を口を、細い指を、安らぎと共に心から愛したことが感じられます。

 1918年1月11日、クリムトが突然脳卒中で倒れたときに、かけつけた両親に最初に言った言葉は
「エミリーを呼んでくれ」
というものでした。
 生まれ故郷である辺境の地ベーメンを捨てて首都の価値に自己を同一化していこうと努め、それに成功していったクリムトが、最期のときに求めたのは、ただエミリーの暖かい腕だったのです。

★★★★★★★
ウィーン市立歴史博物館蔵



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