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「オルフェウス」(オルフェウスの首を運ぶトラキアの娘)」

ギュスターヴ・モロー (1865年)

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「WebMuseum, Paris」のページにリンクします。

 静かに目を伏せるトラキアの娘の手には、今ヘブロス河の水に乗ってトラキアまで運ばれて来たオルフェウスの首と竪琴が抱かれています。詩人オルフェウスは愛妻を喪った悲しみのために歌わなくなり、他の女性にも興味を示さなかったため、女たちの怒りをかって八つ裂きにされ、川に投げ込まれたのです。

 悲嘆を意味するレモンの木が娘の足もとに慎ましく配され、生首を持つ女・・・という残酷なテーマにもかかわらず、画面からはおごそかな神秘性が漂ってきます。詩を吟すれば猛獣さえも聞き惚れたというオルフェウスの首を抱く娘は、詩という芸術の永遠性を守護する女神のように、この静謐な画面の中に清らかにたたずんでいます。

 作家のマルセル・プルーストは、
「このオルフェウスの首から何者かが我々を見つめているのを感じる。それは画布に描かれたギュスターヴ・モローの思想、色彩による思想であり、それがこの盲いた両眼を通して我々を見つめているのである」
と言っています。しかし、これほど高く評価されながら、この作品は国家買い上げとなったものの、1866年のサロンではさしたる注目を浴びませんでした。

 ところが、絵を売って生活する必要のない豊かな環境にいたモローは、サロンの参加に執着がなかったらしく、そうした世間の評判にも大して興味がなかったようです。「自分自身のために制作するときだけ幸せだと感じるくらい、私は自分の芸術を愛している」と言ったモローは、自作をなるべく手もとに置き、耳が不自由な老母とごく少数の友人や弟子たちとの交流を大切にして生きることを、何よりの至福と感じていたのでしょう。
 そして彼は、決して私生活を見せない、いわば神秘の画家でした。その俗物性を嫌い、象徴的なものを視覚化しようと努めた姿は、どこかこの、詩人の首を運ぶトラキア娘のひそやかな姿に似ている気がします。

 ともあれ、この作品を包む死のロマンティシズムは、時を超えて私たちを魅了し続けているのです。

★★★★★★★
パリ、 オルセー美術館蔵



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