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「猫」

グウェン・ジョン (1905年ころ)

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 この、思わず抱きしめたくなるような可愛らしい三毛猫は、グウェンの大切な家族…胸の部分が真っ白な”タイガー”です。グウェンは心から彼女を愛し、彼女との時間を大切にしていました。

 モデルをしながら生活費を稼がなければならなかったころ、内気なグウェンにとって、モンパルナスの質素な部屋は外界からの避難場所であり、恋人ロダンへの想いにひたる、唯一の幸福な空間でした。ロダンへの情熱がグウェンの生活すべてを支配していたころ、彼女は油彩をほとんど描いていません。しかし、そのかわり、大量のデッサンと水彩のスケッチを制作していました。そして、深すぎるほどに深い愛情の持ち主だったグウェンは、ときに相手が与え得る以上のものを要求しがちでした。彼女はロダンに何百通もの手紙を書いていましたが、ときには一日に3回も書き送ることもあったほどでした。ロダンとの仲は複雑で、グウェンにとっては苦悩のもとでもあったことは確かだったようです。そんななか、絶えず彼女の最良の友だったのが、このタイガーだったのです。

 スレード美術学校において、グウェンは実物を見ながら手早く正確にデッサンすることを学びました。彼女にとってデッサンは、油絵と同様に重要なもので、心がけることとして、「デッサンと同じように油絵を描くこと」とノートに書き記し、自分のためのルールとしていたほどでした。また、色調については、ホイッスラーから学んだことを基礎として、独自の番号システムを考案し、正確な観察とヴァルール(色価)の表し方が、ずっと彼女の作品に重要な役割を果たしていきました。そして、そんなグウェンの作品に、師であるホイッスラーは深い感銘を受けていたのです。

 そんな日々のなかで、しばしばタイガーはグウェンの魅力あるモデルとなったのです。気位が高く、気難しいが、素晴らしく美しいタイガー…。グウェンは、タイガーのデッサンや水彩画を描くことに何時間も費やしました。しかし、このようにいくら魅力的な作品が描けても、グウェンは満足していませんでした。タイガーの神秘的な性格を伝えることができたとは、どうしても感じることができなかったからです。グウェンはなんとかしてロダンに、タイガーの美しさを伝えたかったのです。

 しかし、1906年の夏、ムードンへの写生旅行へ伴ったとき、タイガーが姿を消してしまいました。グウェンは何日も外で眠り、肉を置いたりして探し回り、ついに9日目に愛猫に巡り会うことができたのです。ところが、その次の年、気まぐれなタイガーは、それとまったく同じ状況のなかで再びいなくなり、そして今度は永久に、悲しむグウェンの前にその姿を現してはくれなかったのです。

 その後、ロダンが亡くなると、グウェンはタイガーをうしなったムードンに小さな土地を買います。そして、そこに建つ粗末な小屋が彼女のアトリエとなり、彼女がひきとった野良猫たちの住み家となりました。グウェンはそこから、毎日のようにミサに通いましたが、ムードンの住民たちは、この品の良い小柄な婦人が教会のミサのあいだ、鉛筆を走らせてスケッチする姿に次第に慣れていきました。ムードンの人たちにとってグウェンは、絵と猫の好きな、愛すべき質素な中年婦人だったのです。

★★★★★★★
ロンドン、 テイト・ギャラリー 蔵



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