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「本を読む女性」

グウェン・ジョン (1907-08年)

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 静かな室内で、テーブルに腰掛け、片足を椅子にのせた女性が読書の最中です。伏せた瞼のふっくらとしたふくらみがまるでラファエロの描く聖母のようで、実にやさしい作品となっています。このモデルの顔は、通常、グウェン・ジョンが描くタイプとは違うので、もしかするとルネサンス期の絵をもとにして描いたのかも知れません。

 比較的シンプルな作品の多いグウェン・ジョンにしては珍しく、この部屋の中にはたくさんのものが描き込まれています。椅子、テーブルをはじめ、壁に掛けられた絵や戸棚、カーテンなどが本当に注意深く配置され、これらのものは彼女の他の作品にはあまり見られない、一種の文様として用いられているようにさえ思えます。グウェンは一般に簡素な道具立てを好む画家でしたから、これはもしかすると、最初から買い手の好みを考慮した作品だったかも知れません。そう考えるとこの姿勢は、読書するにはあまりにも落ち着かない、いかにも意識したポーズと言えそうです。
 しかしこの女性は、グウェン自身の内的な自画像であるという感じがします。彼女の生涯はまさに、この通りの静けさとひそやかさと、そして屈託に満たされていたからです。

 グウェンの母オーガスタ・ジョンはすぐれた水彩画家であり、ピアニストでもありました。グウェンは、その母を早くに亡くしましたが、才能はたしかに受け継いだようです。今日、彼女は20世紀イギリスにおける大画家の一人として認められています。しかし、若いころに因襲的なイギリスを離れて、パリに移り住み、そのままイギリスには戻りませんでした。女性であるということが、彼女に枠をはめようとしたからです。パリに渡ったグウェンはホイッスラーの美術学校で勉強をし、描くためにモデルの仕事を始めます。そしてそこで、運命的な出逢いをするのです。それが彫刻家のオーギュスト・ロダンでした。

 ロダンはこのとき63歳、名声は頂点に達しており、若いグウェンは尊敬と憧れで夢中になってしまいます。そしてロダン自身も、内気で繊細なグウェンを励まし、愛情に満ちた助言を与え続けました。ロダンはグウェンにとって、いつの間にか、恋人というよりはむしろ父親のような、保護者のような…そんな存在になっていったような気がします。それでも、グウェンは、共感を覚えた人には情熱的に心をかたむけるタイプの女性でしたから、少しでもロダンに無視されたと感じることがあると悲しみに沈み、そして何日も食事がのどを通らずに病気になってしまったりしていました。そんな世間から孤立したような、内向的な、でもとても情熱的な日々を送っていたころに描かれたこの『本を読む女性』は、まさしく内省的なグウェン・ジョンその人の姿だったような気がします。

 しかし、グウェン・ジョン独特の抑えた色使いは、彼女の心の発露ではあるでしょうが、また、パリに来て学んだホイッスラーの教えに負うところも非常に大きかったと思います。色は厳格なルールに従ってパレットに並べなければならず、それを混合し、少しずつ変化させて、明から暗への系統立った移行を構築しなければならない、というのがホイッスラーの教えでした。彼は「パレット上で色を混ぜ合わせて、正しい色が得られるまでカンヴァスに色を置いてはいけない」と主張し、グウェンはそれを忠実に守り続けました。濃い絵具を手早く、自信をもって塗りつけ、そしてカンヴァスの同じ場所には二度と手をつけなかったのです。彼女は自分に対して厳格であり、納得のできる水準に達しない作品はすべて破棄していきました。
 「私の宗教と芸術、それが私の人生のすべてです」
と書いたグウェンは、ロダンの死後、宣伝や名声には見向きもせずに、ただ絵を描くことに自分のすべてを捧げていったのです。

★★★★★★★
ロンドン、 テイト・ギャラリー 蔵



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