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「無原罪の御宿り」

バルトロメー・ムリリョ (1660-65年)

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 この世で一番可憐で美しい聖母、幼さの残る瞳はそれでもしっかりと天を見詰め、みずからの運命を全て受け入れているようです。何て可愛いマリア。聖母の画家として人気を博したムリリョはこのテーマを多く制作していますが、愛らしい聖母のモデルは画家自身の愛娘であったと言われています。
 ムリリョが活躍したセビーリャは、昔から聖母信仰が盛んでした。この地はスペインで最も重要な港町でもあり、ムリリョの描く聖母像は新大陸やアジアに広く送り出されました。この作品も無数に複製され、南米などのカトリックの家庭にも大切に飾られていました。温かい安らぎをまとった可愛らしいマリアを、民衆は親しみをもって迎えたに違いありません。

 タイトルの「無原罪の御宿り」とは、聖母が人間であるにもかかわらず生まれながらに無垢であり、原罪を免れていたという教義を示す言葉です。これには反対意見も多く、中世以来、長く議論されていました。しかし人々はこの教義を愛し、17世紀ごろになると多くの画家がさまざまな構想で描くようになります。確かにあまりに抽象的なテーマですから、空想の翼は広がります。そのため視覚的に表現する際には、『ヨハネの黙示録』に登場する、太陽を着、月を踏み、12の星の冠を被った少女の姿が一つの決まり事のようになっていました。
 また聖母は本来、赤い衣に青いマントという出で立ちが一般的なのですが、17世紀スペインの無原罪の聖母はこのような白無垢の衣装で表現されていました。純真無垢なマリアに、これ以上ふさわしい衣装はなかったのかもしれません。

 バルトロメ・エステバン・ムリリョ(1617-1682年)はスペイン南部のセビリアに医師の息子として生まれました。14人兄弟の末っ子で、幼い頃に両親を亡くし姉夫婦のもとで育てられたといいます。画家フアン・デル・カスティーリョのもとで修業を積んだ後は生涯の大部分をセビリア周辺で過ごし、1682年にカディス(セビリア南方の海辺の町)の修道院で制作中、足場から転落したケガがもとで死去したと言われています。名声の割にはその生涯には不明な部分も多く、いまだ研究の途上です。
 ムリリョの魅力は何といってもスティロ・バポローソ(薄もやの様式)と呼ばれる薄もやに覆われたような夢幻的で色彩豊かな画面です。これは晩年の作品に顕著な特徴ですが、この夢見るようなマリアや可愛らしい小天使たちの表現は、後のロココ美術を予言するように優雅で甘美な幸福感に満ちています。ムリリョには5人の子を次々にペストで喪った悲しい思い出がありました。だからこそでしょうか、6人目の娘への愛情深い眼差しはこの無原罪のマリアに凝縮されているかのようです。

★★★★★★★
マドリード、 プラド美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎不朽の名画を読み解く
       宮下 規久朗 (著、編集)  ナツメ社 (2010-7-21出版)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
       佐々木英也訳  講談社 (1989-06出版)
  ◎木村泰司の西洋美術史
       木村泰司 著   学研プラス (2013-12-17出版)



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