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「小枝を持つ羊飼いの少女」

カミーユ・ピサロ (1881年)

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 農園の片隅で、ひととき休息を得た少女は、まだ10代前半と思われるあどけなさです。小枝をもてあそびながら、ボンヤリと陽の暖かさに身をゆだねる様子は何とも愛らしく、同じ印象派のドガに、
「ピサロの描く農民の娘は、まるで市場に行く天使のようだ」
と言わしめたのも深くうなずけるところです。こんな優しい眼差しが、画家ピサロのひととなりを端的に物語っているようです。

 カミーユ・ピサロ(1830-1903年)は、農民や労働する人々の姿を数多く描きました。画家になる前、デンマーク領だった西インド諸島のセント・トーマス島で雑貨商をしていた父親とともに働いた経験を持つピサロにとって、労働、生産は非常に価値ある人間としての営みだったのでしょう。この絵でも、農家の両親を手伝ってホッと一息ついた少女の何気ない一瞬を、画家はしっかりととらえているのです。

 また、ピサロを語るときに忘れてならないのは、何といっても彼の面倒見のよさでしょう。彼は“印象派の父”とうたわれて現在に至っています。あの気難しくて神経質で人付き合いの苦手なセザンヌでさえ、
「ピサロは私にとって父のような、いや、慈愛に満ちた神にも等しい存在だった」
と回想しているのです。
 印象派の画家たちの中でも最年長だったピサロは、まさに印象派の画家たちにとっての父であり、心の指針ともいうべき存在でした。自己中心的なドガの振る舞いをしばしばたしなめたのも、ゴーギャンを仲間に誘ったのも、前出のセザンヌの目を自然に向けさせ、作品に明るい色彩をもたらしたのもピサロだったといいます。
 また、印象派仲間の反対を制して点描派のスーラやシニャックを印象派展に参加させたのもまたピサロだったことを思うと、ピサロが印象派だけでなく、西洋近代絵画の発展にどれだけ寄与した人物であったかを改めて実感させられます。

 それでも、ピサロに“印象派の裏方”という感が否めないのは、ルノワールのようにブルジョワたちを描くことをせず、モネのような大胆な視覚の冒険もしなかった点にあるかもしれません。しかし、だからこそピサロの作品には、彼らしい温かさと優しさが保たれ続けたのでしょう。おおらかで謙虚なピサロは、その人柄で将来ある仲間たちを支え、印象派展の存続をもまた支えたのでした。

 この作品は、第7回印象派展に出品されたもので、ピサロの画風がやや変化し、緻密な光学理論への関心をより深めていった時期の重要な一作です。そして、ピサロが人物画に本格的に取り組んだ初期の一点でもあります。ざらざらっとした絵の具のタッチが大地の感触を伝え、少女の素朴さが見る者の心にしみじみと流れ込んでくるのです。

★★★★★★★
パリ、 オルセー美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎印象派
       アンリ‐アレクシス・バーシュ著、桑名麻理訳  講談社 (1995-10-20出版)
  ◎印象派美術館
       島田紀夫著  小学館 (2004-12出版)
  ◎西洋美術史
       高階秀爾監修  美術出版社 (2002-12-10出版)
  ◎西洋絵画史who’s who
       美術出版社 (1996-05出版)



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