• ごあいさつ
  • What's New
  • 私の好きな絵
  • 私の好きな美術館
  • 全国の美術館への旅

「イタリア人大通り、朝、陽光」

カミーユ・ピサロ (1897年)

ジャンプ

ここをクリックすると、作品のある
「The Athenaeum」のページにリンクします。

 自然の中で描くことを好んだカミーユ・ピサロ(1830-1903年)の興味は、農民が立ち働く田園に向けられていました。ところが、1890年代になって初めて都会の生活風景を描き始めるようになったのです。それは、マネモネが1860年代に好んで描いたテーマであり、その数約150点にものぼりました。

 そこには、ピサロ自身の目の病という事情がありました。そのため、紫外線の強い戸外での制作を控えなければならなくなってしまったのです。この作品も、ホテルの一室からの眺めでした。刻々と変化する街の風景をピサロは生き生きと描き出しています。人や馬車の往来、街特有の騒音、見る間にすべてのものが動いていく様子が、臨場感を持って迫ってくるようです。そこには、都会生活のリズムまでもが描き出されています。

 ところで、ピサロの描く街の光景は、他の印象派の画家たちのものとは少し違っているかもしれません。他の画家たちは都会の風景をごく客観的に、どこか突き放して描いています。彼らの興味はあくまでも刻々と移り変わる光と、近代化された街の景色そのものだったのです。人々は点景に過ぎませんでした。
 
 しかし、自然をこよなく愛したピサロは、都会の喧騒までも柔らかな温かい色彩で包んでしまいました。この作品からも、人々の幸せそうな笑い声、闊達に闊歩する馬のひづめの音、どこからともなく流れる陽気な音楽が聞こえてくるようです。ここに鑑賞者は、ピサロという人物の人柄を感じます。見るものすべてに愛情のこもった視線を注ぎ、みずからもその情景を楽しみ、そして愛おしみながらそれを描く。ピサロとは、そうした画家だったのです。

 この時期、ピサロはモネの「連作」の発想を借りて、時間や季節によってさまざまに変化する光を描き出す試みに挑戦しています。ですから、同じ場所を時間をかえて描いた作品も多く見受けられるようになります。絵画を1枚だけで完成させるのではなく、同じモティーフで複数の作品を描き、それらをまとめて見せることで、時間による光の変化を見せようとしたのです。70歳になんなんとするピサロの、衰えることのない探究心が輝いているようです。

 ピサロはいつも、印象派の裏方を自認していました。自己主張の強いメンバーをまとめて印象派展を存続させたのも彼の功績でした。ピサロ自身、息子リシュアンに宛てた手紙の中で、「私はシスレーと同じように、印象派の後衛にとどまっているよ」と述懐しています。自分は地味な存在でいいんだ、と言っているかのようです。確かに彼は、他の仲間たちのような奇抜で大胆な発想は持ち合わせていませんでした。しかし、ある意味、ピサロほど仲間から信頼され、みずからの心に忠実に描いた、印象派を体現したような画家はいなかったように思えます。

 この作品から6年後の1903年、ピサロはセーヌ川に架かるロワイヤル橋の連作に取り組んでいましたが、9月に自宅の階段で転倒してそのまま病床に就き、その年の11月、静かに充実した人生の幕を下ろしました。

★★★★★★★
ワシントン、 ナショナルギャラリー 蔵

<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎印象派
       アンリ‐アレクシス・バーシュ著、桑名麻理訳  講談社 (1995-10-20出版)
  ◎印象派美術館
       島田紀夫著  小学館 (2004-12出版)
  ◎西洋美術史
       高階秀爾監修  美術出版社 (2002-12-10出版)
  ◎西洋絵画史who’s who
       美術出版社 (1996-05出版)



page top