• ごあいさつ
  • What's New
  • 私の好きな絵
  • 私の好きな美術館
  • 全国の美術館への旅

「十字架上のキリスト」

フランシスコ・デ・スルバラン (1650年)

ジャンプ

ここをクリックすると、作品のある
「Olga’s Gallery」のページにリンクします。

 その日、早朝からの霧雨はやがて雨に変わっていました。ゴルゴタに続く道を、重い十字架を背負って歩いたイエスは、痛み止めのぶどう酒を拒み、釘を打ちつける音と焼けつくような痛みに耐えました。十字架の上には「I.N.R.I.」(ユダヤ人の王、ナザレのイエス)と書かれた銘板が取り付けられていました。
 磔刑は、徐々に体力を失わせますが、命が尽きるまでには時間を要する残酷な刑です。昼の12時になると、全地は暗くなり、それが3時まで続きました。3時にイエスは大声で叫びました。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」。これは、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という意味です。そこに居合わせた者の一人がすぐに走り寄り、海綿にぶどう酒をふくませて葦の棒に付け、「エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとしました。しかし、その瞬間、空はすっかり黒い雲に覆われ、激しい嵐がやって来ました。突き刺すような風の中でイエスは、「父よ、あなたは私を見捨てられたのか」ともう一度悲痛な叫びを上げ、息絶えたのです。

  その後にやって来た、深く静かな沈黙の時です。まるで底のない暗い湖に、そのまま引き込まれて行くようなイエスの姿に、見る者は心も言葉も奪われます。息絶えたキリストは、やや右に頭部を傾け、茨の冠の痛々しさも今は静けさの中に輝く光輪のようでさえあります。
 ルネサンス以降の美術家たちは、十字架上で息絶えたキリストをよく表現するようになりました。それ以前、西ヨーロッパでは、何世紀にもわたってビザンティンの影響のもと、目を見開き、王冠を被った勝利の救世主としてのキリスト像が描かれていました。しかし11世紀に入ってからは、このようにやつれた姿のキリストが新しい表現形式として登場し、西欧芸術の主流となっていくのです。

 この作品は、スルバラン(1598-1664年)がちょうどセビーリャを離れ、マドリードに滞在していたと思われる時期の静謐な磔刑図です。同年、彼はセビーリャを襲ったペストによって、息子で助手のフアンを喪っています。おそらく、失意のどん底だったことでしょう。強烈な明暗法と透徹した写実描写によってセビーリャ美術界の第一人者として頂上を誇ったスルバランの、寂しい晩年の始まりでもありました。
 だから、この作品…..などとお座なりなことを言うつもりはありません。それでもやはり、このキリストの姿は、その当時のスルバランの心そのもの、という気がしてならないのです。

★★★★★★★
サンクト・ペテルブルク、 エルミタージュ美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術史への視座
        新田博衛編  勁草書房 (1988-03-10出版)
  ◎西洋絵画の主題物語〈1〉聖書編
        諸川春樹監修  美術出版社 (1997-03-05出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
        高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎西洋絵画史WHO’S WHO
        諸川春樹監修  美術出版社 (1997-05-20出版)



page top