• ごあいさつ
  • What's New
  • 私の好きな絵
  • 私の好きな美術館
  • 全国の美術館への旅

「不吉な顔」

エドワード・バーン=ジョーンズ (1886-87年)

ジャンプ

ここをクリックすると、作品のある
「CGFA」のページにリンクします。

 「ほら、これがメデューサの首だよ。見える?」
とでも言っているのでしょうか。ギリシア神話の英雄ペルセウスは、井戸に映ったメデューサの首をアンドロメダに見せています。メデューサはあまりにも恐ろしい姿をしていたので、首だけになってからでも直接見てしまうと、見た者は石になってしまうからです。ペルセウスに手をとられて恐る恐る井戸を覗き込んだアンドロメダの目には、メデューサの首はどう映ったことでしょうか。そんなアンドロメダを見つめるペルセウスの真剣な眼差し、そして今にも目を開きそうなメデューサ……と、三者三様の心のせめぎ合いに、思わずこちらも緊張してしまいます。

 この作品は『転身物語』から想を得たものです。オリュンポスの主神ユピテルが黄金の雨に姿を変えて、アクリシオスの娘ダナエに生ませたペルセウスは、長じて冒険の旅に出ます。もともとは美女でありながら、今は蛇の頭髪を逆立てる怪物となったメデューサ…。女神ミネルヴァから磨きこまれた青銅の楯を与えられたペルセウスは、その楯にメデューサの姿を映し、それを見ながら退治したのです。メデューサの首をとった帰途、ペルセウスは海辺の岩に鎖で繋がれたアンドロメダ姫を見付けます。彼女はエチオピア王の娘で、海の怪物への生け贄にされようとしていたのです。アンドロメダの美しさにうたれたペルセウスは、きわどいところで怪物を仕留めて彼女を解放し、姫を花嫁に、と王に願い出るのです。

 しかし、この場面は、英雄譚のどの部分にあたるのでしょうか。すでにアンドロメダは解放され、ペルセウスにメデューサの首を見せてもらっているところかも知れません。又は、ペルセウスとアンドロメダの婚礼の宴に、当てがはずれた求婚者フィネウス率いる暴徒が乱入した際、ペルセウスは彼らの面前にメデューサの首を振りかざし、その200人ほどの敵を一瞬にして石化させてしまったという後日談がありますから、その婚礼のあと、アンドロメダに乞われたペルセウスが、井戸の水に映った姿なら…という条件で、アンドロメダの願いを聞き入れたのかも知れません。ともかくも、さまざまな解釈が生まれそうな場面です。メデューサの首をはさんだ二人の息詰まるような一瞬に、ギリシア神話とは別の、人間的な、胸が高鳴るような時間が凝縮されています。

 この作品は、後に英国首相となるアーサー・バルフォーから、ロンドン私邸の音楽室を装飾するために、と依頼された「ペルセウス」シリーズのうちの一作です。しかし、サイズが大きな大作ばかりだったためか、原寸大で残っているのはグワッシュの下絵のみで、後に油彩として完成されたのはこの『不吉な顔』を含めた四点だけでした。ちなみに、『ペルセウスの召還』から始まるシリーズ全部、十点のグワッシュ作品は、現在、サウザンプトン市立美術館で見ることができます。

 この時期、バーン=ジョーンズはステンドグラス、タピストリーの分野でモリス商会の主任デザイナーとして活躍するようになっていました。ラファエル前派のメンバーであるウィリアム・モリスは社会参加の意識が強く、次第に装飾的な分野へとその芸術の方向を変えていましたが、家具や調度を創作する会社や印刷、出版部門で活躍し、殊にバーン=ジョーンズの協力を得た優れた彩飾本やタピストリーは高い評価を受けました。

 神話と中世の物語に傾倒し、絵画、装飾の分野で活躍したバーン=ジョーンズの心は、近代世界の物質主義への疑念を抱えながら伝説、神話の世界への探求を続け、やがてヨーロッパ全土の象徴主義芸術家に強い影響を与えていきました。彼によって、ラファエル前派は国際的に認められたと言っても過言ではなかったのです。

★★★★★★★
ロンドン、 テイト・ギャラリー 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎ラファエル前派の夢
        ティモシー・ヒルトン著  白水社 (1992-01-20出版)
  ◎ラファエル前派―ヴィクトリア時代の幻視者たち
        ローランス・デ・カール著 高階秀爾監修  創元社 (2001-03-20出版)
  ◎西洋絵画の主題物話〈2〉神話編
        諸川春樹監修  美術出版社 (1997-05-30出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
        高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎西洋絵画史WHO’S WHO
        諸川春樹監修  美術出版社 (1997-05-20出版)
 



page top