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「ネーデルラントのことわざ」

ピーテル・ブリューゲル(父) (1559年)

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 オランダ・ルネサンスを代表する画家ピーテル・ブリューゲルは、ちょっと変わった人物だったかもしれません。ヨーロッパ全土の目がイタリア・ルネサンスのクラシカルな美に注がれている時代に、民衆や農民を主題とした現実的な作品を多く描いていたのです。
 しかし、ブリューゲルがイタリア・ルネサンスの絵画に全く触れなかったわけでは、もちろんありません。1551年にアントウェルペン(ベルギー北部)の画家組合に登録して間もなく、彼はイタリアへ行っています。帰国後、「四方の風」という名の版画店の原画作者として仕事を始めますが、イタリア的なモティーフを意識的にか、また、彼の天性のものなのか、自作に積極的に取り入れることはほとんどありませんでした。

 この「ネーデルラントのことわざ」は、ブリューゲルが多数の油彩画を描き始めた初期のころの作品です。広大な舞台を背景に、実は100を超えることわざが、わかりやすく描き込まれています。それは、強欲、背徳、倒錯的な行為についてのことわざですが、意外にも女性に関することわざも多く、女性が信用ならない存在として描かれています。
 例えば、左隅で悪魔をこらしめている女性は、「クッションの上で、悪魔を縛る(ほど強い)女」を象徴していますし、画面のほぼ中央で、夫に青いマントを着せかけている美しい女性は「夫に青いマントを着せる(夫をだます)妻」の象徴なのです。マントを着せると、現実が見えなくなるという寓意なのですが、この場面から、この作品全体が『青いマント』とも呼ばれているのです。
 一方、描かれているのは、もちろん女性ばかりではありません。救いがたい愚かな男もたくさん描かれています。
 悪魔を縛る女の横では、「顔を壁にぶつける(自分が傷つくだけで、うまくいかない)男」がいます。さらに、青いマントのすぐ下には、窒息死した牛をあわてて埋めている「いいかげんな男」、右端には、パンを二ついっぺんに手に入れようとして、とうとうどちらも手にできない「欲張りな男」、右奥の川の中には、太陽が水の上に輝いているからといって腹を立てている「ねたみ深い男」、さらに画面一番奥の山の中では、隣人の火事で暖をとっている「図々しい男」……等々、数え出したら確かにきりがありません。
 大量の知恵や知識も詰め込まれた画面ですが、これらのことわざから、人間にとって何が重要かということが見えてきます。彼らにとって最大の関心事が、物を所有することであるのは間違いなさそうです。食べ物から、果ては怪物まで……。
 また、日常的な問題も彼らにとっては重要です。例えば、トイレタイムは重大問題でした。
 川に面した建物からお尻を出して用を足している二人の人物は「同じ穴で用を足すのは一生の友」という証ですし、遠景では「絞首台のそばで用を足す者は恐れるものがない」ということわざが示されています。さらに、左の上では「地球に向かって用を足す者は軽蔑を表す」とされ、その右では「月の上で用を足す者は無理な願いをする者」であることを示しています。
 ところで、ブリューゲルには比較的、宗教画と目される作品は少ないように思うのですが、それらしい寓意も盛り込まれています。
 画面の中央では、「悪魔と契約する者は、敵に自らの秘密を明かす」、「悪魔のろうそくに火をつける者は、へつらう者である」といったことわざが示されています。さらに、中央よりやや右では、「人をだます者は聖者に扮することもある」ということで、キリストに似た怪しい人物を見てとることもできるのです。聖マタイの「豚に真珠」の言葉には、「価値を理解できない者に豪華な物を与える」という意味があるわけですが、青いマントの右側で豚に花を与えている男は、豚から少しも感謝されないので不満そうです。
 ところで、画面の中に地球儀がいくつか使われているのも興味深いところです。右下で、派手な服を着て地球儀を指一本で支えている人物には、「指先ですべてのものを踊らせる(地球が自分を中心に回っている)と考えている男」という意味がこめられ、左側の家の壁に十字架のついた地球儀が逆さに吊されているのは、まさに逆転…倒錯の世界が象徴されているに違いありません。

 ところで、この作品は今でこそ「ネーデルラントのことわざ」で通っていますが、17世紀には、さまざまな名称で呼ばれていたようです。先ほどの「青いマント」もそうですが、そのものズバリの「逆さまの世界」と呼ばれていたこともありました。それは、ここに描かれた人々の一見滑稽な姿を揶揄しているというより、当時の世界の混乱状態を意味したネーミングでもあったのでしょう。
 この時期、現世の終末がいずれやってくるのではないかという、そこはかとない不安感が世の中を満たしていました。一連の宗教改革の波を受けたネーデルラントは大きな変貌の時を迎えており、一般庶民にとっては神の審判よりも、現実的な経済が大きな力を持ち始めていたのです。近世と呼ぶにふさわしい時代のまっただ中を、ブリューゲルは実感をもって生きていたのでしょう。

 今ここで、すべてのことわざを読み解くことは困難です。お時間のあるとき、じっくりと作品と向き合い、おもしろそうなことわざを探してみてください。もしかすると、あなたによく似た人物を発見できるかもしれません。

★★★★★★★
ベルリン国立美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術館
        小学館 (1999-12-10出版)
  ◎絵画を読む―イコノロジー入門
       若桑みどり著  日本放送出版協会 (1993-08-01出版)
  ◎原寸美術館―画家の手もとに迫る
       結城昌子著  小学館 (2005-06-10出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
       高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
       佐々木英也著  講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
  ◎西洋絵画史who’s who
       美術出版社 (1996-05出版)



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