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「羊飼いの少女」

ジャン・フランソワ・ミレー (1862-64年)

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 夕闇のなか、顔の表情はいまひとつ定かではありませんが、羊飼いの少女が静かに、大地に根を張った一本の樹木のように立ち尽くしています。すでに手元は暗くなり始めているのでしょうが、一心に編み物をしている少女の無心な、愛らしい姿は、今でも観賞する人々の心を温かくとらえます。

 詩人リルケはミレーの描く農民を見て、
「彼らはいついかなる時でも大地に単刀直入できる」
と語ったそうですが、まさしく彼女はリルケの言葉そのままに「一本の樹のようにバルビゾンの広野のただなかでただ一つ直立して」いるのです。美しく壮麗な水平の広がりと垂直の形体は、みごとに自然を描きながらも、ミレーが試みた雄大な虚構といえるのかも知れません。

 彼の描く地平線は、いつも中央のあたりがかすかに盛り上がっていて、この盛り上がりに向かって画面はすうっと収斂されています。そして私たちの心は、彼の描く地平のかなたに存在するに違いない神の光をごくあたりまえに受け入れてしまえるのです。また、人物の頭部はきまって地平線スレスレのところに置かれることが多いのですが、ここには人間と自然との交感が無理なく表現されていて、たそがれの一瞬の平和の中にいる少女の心情が、やさしく美しく表現されているのです。
 ゴッホは羊の群れを描く難しさを「白波が立つような」という言葉で表現しているそうですが、ミレーは光の反映のなかの羊たちを、それは鋭く、かつまた自然に、ある種幻想的に描き切っているのです。羊の習性を熟知した彼ならではの表現ではないでしょうか。
 ミレーは、「汝の額に汗して、汝の生計を立てよ」という信念を地でいった人間でした。彼にとって、運命は不変であり、描くことは労働であったのです。

 そんなミレーは、人生のリアリティがいかに重要であったかを知っていたのだと思います。貧しさに耐え、わずかな旅費が工面できないために母親の死に目にも会えなかったミレーは、しかし、そんな自分の境遇を呪うことなく、ありのままに受け入れて、ひたすら農民の生活を描き続けたといいます。
  「”栄華のさなかのソロモンでさえ、この色のひとつほどにも着飾っていなかった”とキリストが言った小さな花々を、まったくそのようなものとして見ているのです」
と述べたミレーの慎ましさ、清らかさは、そのまま彼の作品となって、私たちの心をいつまでもいつまでも安らぎのなかに満たし続けてくれているのです。

★★★★★★★
パリ、 オルセー美術館蔵



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