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「山上の誘惑」  (『荘厳の聖母の祭壇画』プレデッラ部分:キリストの公生涯)

ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ (1308-11年)

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 バプテスマのヨハネから洗礼を受けた後、キリストは“霊”に導かれ、荒野で40日間断食をしました。そして、その終わりにあたって、悪魔から三度誘惑を受けるのです。
 まず、悪魔は石を示し、
「神の子なら、これらの石がパンになるように命じてご覧なさい」
と言いました。イエスが断食によって、大変な空腹を覚えていたからです。しかしイエスは、
「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる、と書かれている」
と答えました。
 次に悪魔は、イエスをエルサレムの聖なる神殿の高みへ連れて行き、屋根の端に立たせて、
「神の子なら飛び降りてみせなさい。神があなたの為に天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える、と書いてあるではないか」
と、誘いの言葉をかけました。しかしイエスは、
「あなたの神である主を試してはならない、とも書いてある」
と落ち着いて答えました。
 最後に悪魔は、この世のすべての国々を見渡すことのできる山の頂へとイエスを連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せ、
「もしあなたがひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたに与えましょう」
と言いました。するとイエスは、
「退け、サタン。あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ、と書いてある」
と言って、すべての誘惑を拒絶したのです。
 そして、悪魔が去ってしまうと天使たちが現れ、キリストに仕えました。

 古代の人々は伝統的に、悪魔たちが砂漠を住処としていると考えていました。砂漠にはさまざまな誘惑が、人の心を惑わそうと待ち受けていると感じさせる何かがあったのでしょう。この場面は、ちょうど三番目の誘惑に失敗した悪魔が、天使を伴ったキリストに追いやられようとしているところのようです。
 ごつごつした岩山にすっくと立つキリストに対し、去り行く悪魔の姿はやや滑稽にさえ見えて、ちょっと可哀想な気もします。彼はこれから何処へ行くのでしょう。大切な役目を失敗したことで、悪魔の親玉に叱られたりしないのでしょうか。大きな翼を持ち、足は鉤爪になっており、髪は逆立っているようですが、その表情を見てとることはできません。やや肩を落とし、悄然とした姿に彼の将来を思い、なぜか可笑しくも悲しい気持ちになってしまう鑑賞者も多いのでは、と感じさせる作品です。

 この表現力豊かなテンペラ画を制作したのは、シエナ派の画家ドゥッチョ(1255頃-1319年頃)です。彼は、13世紀の末から14世紀初頭にかけてのシエナの指導的画家の一人でした。その生涯についての記録はほとんどありませんが、その微妙な金色の線や繊細で華麗な色彩が特徴的で、彼に続くシモネ・マルティーニらに大きな影響を与えています。
 ドゥッチョの最も大きな仕事は、1308年に注文を受けたシエナ大聖堂の中央祭壇画の制作でした。それが『荘厳の聖母』であり、ドゥッチョの最高傑作であると言われています。本祭壇画は、前背両面ともに物語場面や聖人像で装飾されていましたが、現在は解体され、その大部分は大聖堂付属美術館に収められています。ただ、キリストと聖母の生涯を描いたプレデッラのうちの数点は、現在、イタリア国外に散逸しており、この『山上の誘惑』も、ニューヨークのフリッツ・アンド・ロックフェラー・コレクションの所蔵となっているのです。

 ちなみに、プレデッラとは、主画面の下に添えられた複数の小画面のことであり、フリーズ状に物語を展開している作品部分のことです。ドゥッチョは、板絵の領域において、他に類を見ないほどに物語描写に優れた画家でした。同時代のジョットほどに革新的ではなく、人物たちにはまだビザンティン美術の名残を感じさせます。しかし、だからこそ、画面全体からあふれる豊かな情緒、物語性に、私たちはやはり魅せられてしまうのだと思うのです。

★★★★★★★
ニューヨーク、 フリック・コレクション 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎新約聖書
        新共同訳  日本聖書協会
  ◎聖母の都市シエナ―中世イタリアの都市国家と美術
        石鍋真澄著  吉川弘文館 (1988-04-10出版)
  ◎西洋絵画の主題物語〈1〉聖書編
        諸川春樹監修  美術出版社 (1997-03-05出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
        高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)



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