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「嬰児虐殺」

グイド・レーニ (1611年)

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 ただならぬ緊迫感で、一分の隙もなく前景に人物が描き込まれ、残虐な場面ながら、ふと舞台上での出来事のような感覚を想起させるのは、17世紀ボローニャ派の巨匠レーニならではの洗練された演劇性のゆえかも知れません。

 キリストが生まれたとき、ユダヤの王となる運命を持った子供の誕生を知ったガリラヤの領主ヘロデ大王は、その権力の座を奪われることを恐れ、ベツレヘムとその近郊の幼児をことごとく殺害することを命じました。権力欲に固執した愚かな行いですが、このことを天使から予告されていた肝腎の聖家族は、すでにエジプトへ避難していたのです。
 剣を振りかざし、強引に子供たちを殺そうとする兵士たち、嘆き悲しみながらも我が子を奪われまいと必死に抵抗し、あるいは助命を嘆願する母親たち….。その絶望、声にならない声が見る者の心を奪います。遠く、背後の窓には、この光景を眺めるヘロデ王らしき人物の姿も見え、対角線構図でみごとに表現された惨劇の場面となっているのです。

 すでに殺された嬰児を前に天を仰ぐ母親の心はこれから先、何年、何十年の間、癒されることがあるのでしょうか。権力者によって理不尽に奪われる幸せを逃すまいとするように両手を握りしめた彼女の清冽な表情はレーニならではの繊細さで、その蒼白な美しさには打たれます。どのような場面でも揺るがないレーニという画家の端正な人物観察の目が、彼女の上に確かに注がれているのを感じずにはいられません。
 しかし、この中で、かすかな希望を見出すとすれば、外套に子供をくるみ、逃げようとしている女性がいることです。このテーマの場合、母親は洗礼者ヨハネの母エリサベツを表すとされており、我が子ヨハネを連れて山の中へ逃げるエピソードは、外典『ヤコブ福音書』に述べられています。この子がやがて、キリストの先駆者たる洗礼者のヨハネとなるのです。

 グイド・レーニ(1575-1642年)は、当時ローマで流行していたカラヴァッジオの劇的なリアリズムへの反動として、古典主義的な画風を生み出していった流れの第一人者といえる画家です。彼はボローニャのアカデミーで学んだ後、カラヴァッジオやカラッチ一族に深い影響と感銘を受けながらも、より洗練された荘厳さを特徴とする美、つまり古典主義へとたどりつくのです。そんな画家自身の転機となったのが、この『嬰児虐殺』であったと言われています。
 強い色彩と明暗の対比は確かにカラヴァッジオから受け継いだものですが、カラヴァッジオの脅威的な手法を離れ、より繊細な、そしてバランスの良い表現が実現されつつあることを確かに見てとることができます。
 これから先、レーニの様式はより淡く、抑制された色彩、計算された構図となって完成されていきますが、この作品はまだ発展途上にあったレーニの、瑞々しい、感情がほとばしるような清らかさに満ちています。

★★★★★★★
ボローニャ、 国立美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎新約聖書
        日本聖書協協会
  ◎西洋絵画の主題物語〈1〉聖書編
        諸川春樹監修  美術出版社 (1997-03-05出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
        高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎西洋絵画史WHO’S WHO
        諸川春樹監修  美術出版社 (1997-05-20出版)



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