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「ラ・ヴェラータ(ベールの女)」

ラファエロ・サンツィオ  (1516年)

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 マドンナの画家ラファエロも、こんなに美しい生身の女性を描くこともありました。
 美しいだけでなく優しい眼差しのこの女性は、しかし、よく見ると、涙ぐんでいるように見えます。そして、光が前景の袖の襞に当たっていることがわかります。これは、ラファエロとしては、とても珍しい光の扱いと言えます。柔らかな色彩とともに、モデルの持つはかなさが強く印象づけられています。
 彼女は、ラファエロの愛人フォルナリーナだとの説が有力ですが、ほかにも、ラファエロが一時結婚を考えたにもかかわらず若くして亡くなったビッビエーナ枢機卿の姪・マリア説、その他、ラファエロと関係のあった既婚婦人説など、いまだにはっきりとは特定されていないようです。

 思わず触ってみたくなるようなフワフワの、たっぷりとした袖の衣装や、品のよい真珠の髪飾り(一説では、既婚女性であることのしるし)から、モデルの気品がうかがえます。胸に手を当てたしぐさには画家への愛が感じられ、さまざまな説が浮かぶ理由もうなずけるようです。
 ところで、「フォルナリーナ」とは「パン屋の娘」という意味です。彼女は、ローマ市内トラストベレのパン屋の娘だったのです。本名は、マルゲリータ・ルティといいました。当時、人気最高の宮廷画家ラファエロとは身分が違うということで、とうとう結婚には至らなかったということですが、ラファエロには忘れがたい女性だったらしく、これは婚礼衣装のフォルナリーナだとも言われています。彼女と思われるモデルを描いた美しい半裸の肖像画も後に発見されているのです。

 レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロは、ルネサンスの揺るぎない両巨匠です。そして、この二人の芸術に最も鋭敏に反応し、盛期ルネサンスの第三の巨匠として象徴的な存在となったのがラファエロ・サンツィオ(1483-1520年)でした。彼は存命中から、すでにミケランジェロよりも上位の美術家と見なされてさえいたようです。
 ウルビーノに生まれ、ペルジーノの弟子となったラファエロは、若くして師ゆずりの甘美な作風を自分のものとしていました。そして、1504年、21歳のときにウルビーノ公の姉の推薦状を持ってフィレンツェへ向かっています。なぜここで、公の姉の推薦状….というあたりに、すでに当時、女性の心をとらえることに敏だった若き画家の片鱗がうかがえるのです。
 フィレンツェにおいて、あらゆる美術家の研究に熱心に取り組んだラファエロは、特にレオナルドとミケランジェロに最も多くの情熱を注ぎました。
 この作品にも、明らかにレオナルドの「モナ・リザ」の影響を見てとることができます。また、彼は聖母の画家として人気を博しましたが、その聖母子像もしばしば、レオナルドが用いた三角構図に基づいています。
 また、その彫刻的な形態処理や硬質な色調、ひねりの入ったポーズには、ミケランジェロの明らかな影響が感じられるのです。

 ラファエロの作品たちは、あまりにも優雅であるため、やすやすと描かれたように誤解されがちです。さらに、レオナルドとミケランジェロの両巨匠の亜流と揶揄される傾向すらあります。
 しかし、彼ほど破綻なく仕事をこなし、絶妙な均衡を保って、万人が納得する芸術を生み出し続けた画家がいたでしょうか。ラファエロの作品はどれも親しみ深く、整った交響曲のような趣きです。例えるなら、「モナ・リザ」の如き超越性とは違う、節度ある品位に裏打ちされた美しさとでも言うべきものなのです。

★★★★★★★
フィレンツェ、 ピッティ美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術史(カラー版)
       高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎西洋絵画史WHO’S WHO
       諸川春樹監修  美術出版社 (1997-05-20出版)
  ◎ルネサンス美術館
       石鍋真澄著  小学館(2008/07 出版)
  ◎イタリア絵画―中世から20世紀までの画家とその作品
       ステファノ・ズッフィ著、宮下規久朗 (翻訳)  日本経済新聞社 (2001-02出版)



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