フィレンツェのウフィッツィ美術館では、「ヴィーナスの誕生」とともに、この「春」の前には絶えずたくさんの人だかりができているといいます。
画面いっぱいに、これでもか….というくらい花がちりばめられた華麗で超装飾的な表現は、ボッティチェリの自由な発想が写実を超え、豊かな詩的世界となって結実したもので、その美しさが人々をとらえて離さないのでしょう。
人気者の「春」は、ピエルフランチェスコ・デ・メディチ兄弟が購入したカステルロの別荘のために描かれたもので、詩人ポリツィアーノの詩「ラ・ジョストラ」から画想を得たものだと言われています。「ラ・ジョストラ」は、1475年、騎芸競技会(ジョストラ)で優勝したロレンツォの末弟・ジュリアーノの武勇と美しいシモネッタとの恋を祝福した作品で、ボッティチェリはこの詩の世界に相当心惹かれていたようです。
しかし、この翌年、シモネッタは病に倒れ、その後ジュリアーノも策謀によって夭折してしまうのです。「春」には、そうした背景による憂愁がただよい、また、この時代の影の部分も描き込まれているようです。
画面中央に立つヴィーナスの向かって左側で、三美神が優雅に踊っています。左から「愛」「貞節」「美」を象徴しているとされていますが、このうちの一人が死んだシモネッタの姿であると言われています。そのせいでしょうか、春のそよ風に薄い衣をひるがえして優雅に踊る三人は、どこか憂いを含んだ表情をしています。
また、画面の向かって右側では、西風のゼフュロスが、大地の精クロリスをつかまえようとしています。クロリスは逃げようとしているのですが、春の風であるゼフュロスに触れられると口から花がこぼれ落ちてしまい、徐々にフローラに変身してしまいます。そのクロリスの化身した姿が、そのまた左側で花をいっぱい抱えている女神フローラです。
つまり、右から2番目のクロリスと3番目のフローラは同一人物(女神?)で、同じ画面上にいっしょに存在してしまっているのです。画面の右側に、「春」におけるもっとも劇的で印象の強い場面が集約されたということになるでしょうか。まさに、優美な一大叙事詩が展開されているのです。
ところで、ボッティチェリの作品を見ていつも驚かされるのは、女性たちのヘアスタイルの美しさです。一人として同じ髪形の女性はおらず、本当によく工夫されていますし、どうやったらこのようなヘアスタイルにできるのだろう…と、思わず見入ってしまいます。ボッティチェリの鋭い感性と創造力はこんなところにも充分に生かされていて、彼の作品を鑑賞する際の楽しみの一つでもあります。
★★★★★★★
フィレンツェ、ウフィッツィ美術館蔵