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描くベルト・モリゾの肖像

エドマ・モリゾ (1865年ごろ)

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「Women in the Act of Painting」のページにリンクします。

 真摯な瞳でカンバスを見つめ、ふっと絵筆を止めた瞬間の若き女流画家は、印象派の中心メンバーの一人、ベルト・モリゾ(1841-1895年)です。
 彼女は、女性が画家として立っていくには、社会的、法的規制が重くのしかかった時代において、環境にもすぐれた才能にも恵まれた稀有な画家でした。富裕な家庭に生まれ、姉のエドマとともに本格的に絵画の道を志し、コローを師とし、マネとも深い親交を持ちながら、大胆で伸びやかなタッチを駆使し、繊細で透明感あふれる美しい作品を次々に発表していきました。
 しかし、この作品は、そんなベルトの自画像ではありません。一心不乱に制作する彼女の隣で、美しく自信に満ちた24歳の妹を見つめる姉、エドマ・モリゾの描いた肖像画なのです。

 エドマ・モリゾ(1839-1921年)は、妹とともに、二人で必ず絵の道に進もうと約束していました。二人は、ともにショカルス、ジョゼフ・ギシャール、そして、19世紀フランスの重要な画家コロー…と同じ画家に師事し、1864年には、一緒にサロンに初出展しています。
 このとき、クーリエ・アーティスティック誌は、彼女たちを評して、
「ベルトとエドマの姉妹は、彼女らにいそいそと駆け寄ってくる天使ケルビムのように、あの大自然がこのサロンでの彼女らのデビューにすり寄っているようだ」
と述べています。サロンへのデビューからしてこの賛辞なのですから、その後の出展においても、辛辣なはずの評論家たちの反応は好意的なものでした。
 また、二人の師コローは、エドマの才能を特に高く評価していました。彼はアトリエに、エドマの「海の裂け目」という作品を保管していたほどだったのです。そして、ベルトの作品に関しては、特に所有していた形跡はありませんから、コローのエドマに寄せた期待と称賛が感じられる逸話です。
 ただ、残念なことに、エドマは結婚を機に、絵筆を折りました。妹のベルトが、マネの弟ウジェーヌとの結婚後も画業を続けたことを思うと、妹は良き理解者たる夫を得た、と結論せざるを得ません。当時は、女性が職業を持つこと自体、まれであったわけです。女性は母性によってのみ社会的存在価値が認められていたようなところがありました。そのため、サロンにおいても、母性を賛美する作品が優遇されていたほどです。
 しかし、幸せな家庭生活を送りながらも、画業を断念せざるを得なかったエドマの内面の葛藤は、想像するに難くありません。妹モリゾの「ゆりかご」という作品の中に描き込まれたエドマは、我が子を見守りつつも、どこか物憂げな表情を見せています。姉の心情を、妹は誰よりもよく理解していたに違いありません。

 しかし、この「描くベルト・モリゾの肖像」という100×71cmの大作は、エドマの画家としての力量をみごとに示した印象的な作品です。目の前のモティーフに集中するベルトは、エドマの視線を完全に忘れたように立ち尽くしています。丹念に筆を重ねながら、モデルの人となりまでも伝える絶妙な描写力で、エドマは画家としての誇りに満ちた妹を浮かび上がらせているのです。
 ベルト・モリゾは、しばしばマネの作品の中のモデルとなっています。「菫の花束をつけたベルト・モリゾ」などはその代表的なもので、ベルトの美しさが際立った一作です。しかし、ここにいるベルトは、私たちが今まで知らなかったベルト・モリゾではないでしょうか。彼女は制作に没頭し、他の者の視線などまるで意識に入れていないようです。まさに、清冽なアーティスト、画家ベルト・モリゾの姿を、私たちは目の当たりにしているのです。

 エドマの画家としてのキャリアは、著名な画家の門下生としての数年間に限られるため、残された作品も決して多くありません。しかし、そのどれもが、エドマの隠しきれない天賦の才を表出するものばかりなのです。

★★★★★★★
個人蔵

<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
       高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
       佐々木英也著  講談社(1989-06出版)
  ◎ベルト・モリゾ―ある女性画家の生きた近代
       坂上桂子著 小学館 (2006/01/10 出版)
  ◎印象派美術館
       島田紀夫著 小学館 (2004-12 出版)



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