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「陶器製の花瓶の花」

ヤン・ブリューゲル (1606年)

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 画面からあふれ出してしまいそうな花の群れです。まるで生きて、今にも花瓶を蹴って飛び出しそう…..。でも、そう思わせるのはその迫力のためで、さらに見つめていると、それぞれが自分の位置を心得てでもいるかのように、今を盛りの美しさを整然と咲き誇っているのがわかります。
 これだけの花を描きながら、決してむんむんとした過剰な香りが立っている印象でないのは、その輝くような、そして透明感のある色彩のせいでしょうか。しかし、ある愛好家は、ヤン・ブリューゲルの絵の前に立ったとき、香りまでも嗅いだような気がした、と記しているのです。

 17世紀前半のフランドルでは、数多くの専門画家たちが活躍していました。リューベンスに代表される歴史画家たちのほか、風景、動物、静物などを専門に描く画家たちが、きわめて上質な作品を生みだしていたのです。そんな中で、花の静物画の展開は、主としてネーデルラント絵画に顕著に認めることができます。当時のネーデルラントは、新種の花の輸入や開発が非常に盛んでした。業者のなかには、球根ひとつと自分の娘を引き換えにする者もいたと言われているほどです。とくにアントワープのリューベンスのアトリエは静物画の専門化をおし進めており、そこでヤン・ブリューゲルは花を描くことに専念していたのです。
 彼は、巨匠ピーテル・ブリューゲルの次男でした。風景画家として、父親とはまた趣きの異なる仕事を得意とし、森を描いた小さな風景画を専門にしていましたが、非常に器用な彼はその他にも、動物画、静物画….とりわけ花を描いた作品において、当時の最も偉大な画家と言われていたのです。ヤンの、輝く色彩で描かれた花たちを見て、人々は彼を称して「ビロードのブリューゲル」、「花のブリューゲル」などと呼んでいました。若いころ、イタリアで修業した後、アントワープに戻ってからはアルベルト大公とイザベラ皇女のために働き、リューベンスの良き友人として、多くの共同制作を行ったことでも有名です。例えば、『嗅覚の寓意』なども、五感を表す連作の一つですが、リューベンスの描いた「嗅覚」の寓意たる女性とクピド、そしてヤンの手になる多彩な花と生物たち、風景がみごとに溶け合っています。

 それにしても、この『陶器製の花瓶の花』を見て、あまりにもすべてが満開で、気味が悪いと思われる向きもあるかも知れません。これは、ミラノのボッロメーオ枢機卿のために描いた作品で、じつに100以上もの花が描かれていると言われています。このうち、なかなか入手できないものに関しては、わざわざブリュッセルまで出向いて写生を行ったことは有名ですから、実際に陶器でできた花瓶に全ての花を盛った状態で描いたわけではありませんでした。つまり、ヤンは写生のように見せて、彼自身が創り上げた想像の世界を描いたのです。
 それを思ってもう一度この作品を見直したとき、ふと背後の闇にひそむ何者かがじっとこちらを見ているような錯覚にとらわれます。そして、ヤンの兄、ピーテル・ブリューゲル(大)の長男のピーテルが好んで幻想的、悪魔的画面を描いて「地獄のブリューゲル」と呼ばれたことを思い出し、ボッス風の怪奇的モティーフにも想を得ていた大ブリューゲルの血を、兄弟はしっかり受け継いでいるのだ……という思いを新たにするのです。

★★★★★★
ミラノ、 アンブロジアーナ絵画館 蔵



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