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「薔薇の茂みの中の青年」

ニコラス・ヒリアード (1587年)

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 胸に手を当て、悩ましげに佇む青年は理想化されたすらりとしたスタイルとともに、どこか寓意的メッセージを秘めた神秘的な存在感を見せています。彼を取り囲む薔薇は美しさとともに鋭い棘を持ち、甘く切ない恋の本質をあらわしています。描かれた薔薇はエグランタインという種類の野ばらで、処女王とうたわれたエリザベス1世のシンボルでもありました。
 そしてこの人物は特定されてはいませんが、美術史家のロイ・ストロング卿により、エリザベスの寵臣だった第2代エセックス伯ロバート・デヴァルーという人物とされています。彼は馬上槍試合の際に女王の護衛が着た白と黒の衣服を身につけており、これは女王への忠誠のしるしでもありました。そして彼の頭上にはラテン語で、強い志、主義を堅く守り抜く人物であるとの銘が記されているのです。ただ、それは怪しいものかもしれません。1601年、エセックス伯は謀反を企てて失敗し、叛逆罪で処刑されているのです。

 英国のミニアチュール(細密肖像画)の中でおそらく最も有名なこの作品は、全長136㎜とミニアチュールとしては比較的大きなものです。リス毛の極細筆を用いて貝殻をパレットがわりに、厚紙で裏打ちしたヴェラム(仔牛皮紙)に水彩で描かれています。この丹念な仕事をこなした作者のニコラス・ヒリアード(1547-1619年)はイングランドのデヴォン州に生まれ、10代のころは宝石職人に師事し、後年、ミニアチュール作家として国際的な名声を博した芸術家です。若いころは金鉱事業への投資に失敗して債権者に追われ、投獄された経験も持つなど金銭に関する苦労も多かったようで、決して順風満帆な前半生ではなかったことも興味深いところです。
 1576~78年にはフランスに滞在しフォンテーヌブローを訪れたとみられています。その際、フランソワ・クルーエを初めとしたフォンテーヌブロー派のマニエリスム美術の洗礼を受けました。フォンテーヌブローの美術を直接目にした体験はヒリアードにとって大きな衝撃だったことは間違いなく、この青年のポーズはフォンテーヌブローのストゥック(化粧漆喰)装飾から想を得たものであり、花々の中に人物を配置する構成はフォンテーヌブロー派の「フローラの画家」の作品を思わせます。
 1600年ごろに著した論文『リムニングの技法』は1912年まで出版されることはありませんでしたが、彼の精緻な技法を示した解説書となっています。リムニングとは小型肖像画のことです。1603年にエリザベス1世が没すると、その後継者であるジェームズ1世のお抱えミニアチュール作家として重用されました。

 ところで、肖像ミニアチュールはハンス・ホルバインの時代に人気が高まり、エリザベス朝時代の英国で隆盛を極めました。ホルバインのミニアチュールはルネサンスの肖像画の縮小版ともいうべきものでしたが、ヒリアードの水彩技法による細密肖像画は彩飾写本画から発展したものです。ですから、その精緻で繊細な美しさに宮廷人たちは特別に魅了されたに違いありません。あまりに細やかな仕事に、時を忘れて見入ったはずです。肖像ミニアチュールは持ち主の愛情や政治的忠誠の証しとして宝飾品のように身につけられ、愛されました。

★★★★★★★
ロンドン、 ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>

  ◎ビジュアル年表で読む 西洋絵画
       イアン・ザクゼック他著  日経ナショナルジオグラフィック社 (2014-9-11出版)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
       佐々木英也著  講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
       高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)



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