• ごあいさつ
  • What's New
  • 私の好きな絵
  • 私の好きな美術館
  • 全国の美術館への旅

「自画像」

ソフォニスバ・アングイッソーラ  (1550年ごろ)

ジャンプ

ここをクリックすると、作品のある
「Web Gallery of Art」のページにリンクします。

 知的で大きな眼差しが、とても印象的です。襟や髪の精緻な描写、顔半分にかかる陰影が、この画家の確かな観察眼を感じさせます。

 この印象的な自画像の作者、ソフォニスバ・アングイッソーラ(1532-1625年)は、北イタリア出身の画家です。しかし、彼女を語るとき最も重要なことは、西洋美術史上最初の、本格的な女流画家であるということです。彼女は93歳という長寿であり、若き日のヴァン・ダイク(1599-1691 年)に晩年、アドバイスを与えたこともわかっています。つまり、相当に著名な画家であったことは間違いないのです。それでありながら、現在、私たちが彼女の名前に馴染みがないのは、アングイッソーラのような女流画家が生きにくい時代だったということが大きいのだと思います。
 ソフォニスバ・アングイッソーラは貴族出身の父の教育方針もあって、幼いころからラテン語、音楽、絵画といった文化的な素養を磨きながら成長しました。当時にあっては、そうとう開明的な家庭環境であったことが伺えます。そして、彼女は6人姉妹なのですが、そのうちの4人までが画家であったという事実は驚くべきことです。上流階級の子女であり、絵の買い手を捜すのに汲々とする必要がなかったとしても、何という恵まれた環境だったことかと思います。
 生地であるクレモナ出身のベルナルディーノ・カンピのもとで学んだあと、1551年以降はベルナルディーノ・ガッティという画家に学んでいます。
 そして、1554年、アングイッソーラはローマへ旅行し、風景や人物のスケッチを重ねましたが、その折、ちょうど助手を捜していたミケランジェロ (1475-1564年)に出会うのです。これは、彼女にとって大きな出来事でした。ここで彼女は2年間、ミケランジェロから非公式に指導を受けたのです。ミケランジェロは、彼女の描いたスケッチを一目見ただけで、その才能を悟ったと言われています。
 しかし、もちろん、どんなに意欲を持っても、解剖学を学んだり、男性モデルの裸体をスケッチすることは、当時の女性には許されていませんでした。それゆえ、大規模な物語画や宗教画といった多人数の人間を用いた構図を構想することができません。そこで彼女は、肖像画の新たな様式の可能性を探るようになったのです。多くの女性画家が苦しんだ壁が、アングイッソーラにも立ちはだかったわけです。ミケランジェロにその才能を認められたアングイッソーラがもし、大祭壇画を描いていたとしたら、どんな作品になったのだろうと考えると、実に残念な思いではありますが…。
 しかし、1558年、アルバ公によりスペイン王フェリペ2世に推挙されたアングイッソーラは、翌年、王妃エリザベート・ド・ヴァロワの女官 兼 宮廷画家として迎えられます。そして、若き王妃の信頼を得たアングイッソーラは、多くの公式肖像画を描き、名声を確立していきました。
 アングイッソーラの肖像画の特徴は、人物の豪華な衣装や宝石の、丹念で精緻な描写であることは言うまでもありません。しかし、描かれた人々は力強く生命感にあふれ、その人柄や性格までも感じさせるものでした。女性らしい繊細な感覚で描き出した肖像画は、それまでの、権威や裕福さを示すことに重きを置いたものとは全く違っていたのです。

 ところで、アングイッソーラの人生は、意外にも、宮廷内ですべて完結するような、温和しいものではありませんでした。
 1571年、王妃が亡くなったとき、独身のアングイッソーラの将来を案じたフェリペ2世は、彼女に見合いをさせます。相手は、シチリア総督のフランシスコ・デ・モンカーダという人物で、二人は王の見守る中、華やかな結婚式を挙げました。
 ところが、1579年に夫が急逝すると、47歳になっていたアングイッソーラはクレモナへ旅に出ます。その際、乗船した船の船長だったオラツィオ・ロメッリーノと再び結婚することになるのです。オラツィオはアングイッソーラよりもだいぶ若かったようですが、このあたり、彼女が才能だけでなく、女性としての魅力も十分に備えていたことがうかがえるようです。二人はオラツィオの一族が住むジェノヴァに移り住み、そこで、アングイッソーラは自分のスタジオを持つに至るのです。
 オラツィオの資産とフェリペ2世から与えられた邸宅で、アングイッソーラは思うままに描く環境を得ました。そこで多くの若い芸術家と語らい、指導し、その中には先述のヴァン・ダイクらもいたというわけです。彼女の晩年は充実したものでした。夫も、最期まで彼女の仕事を理解し続けてくれました。そして、白内障で視力が衰えると、今度はその財力によって、若い画家たちの後援者として活躍したといいます。

 ところで、最初の師であったベルナルディーノ・カンピが描いたアングイッソーラの肖像画があります。興味深いことに、彼女自身の自画像よりも穏やかな印象ですが、意欲にあふれた大きな瞳は、やはりキラキラと輝いて、こちらを見つめています。
 たくさんの師や仲間や、王にまで親しみ愛されたアングイッソーラの人生と作品は、いま再び見直されようとしています。

★★★★★★★
ミラノ、ブレラ美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術史(カラー版)
       高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
       佐々木英也著  講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
  ◎ルネサンス美術館
       石鍋真澄著  小学館(2008/07 出版)
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)



page top