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「自画像」

ジョルジュ・アンリ・ルオー (1926年)

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 悲しげに目を伏せた男の顔…..これは、ルオー自身の自画像です。
 何気ない作品ですが、よくよく見るうちに、その非常に丹念に計算され尽くした画面に驚きます。きれいな卵形の顔は帽子の縁の二重の同心円と呼応し、鼻の垂直線は首の二本の垂直線と、また水平線は、眉、鼻翼、唇、シャツの胸の部分へと続いて、それぞれ見事に呼応しているのです。そこには一分の隙もありません。
 この美しく計算された画面をあらためて見直すとき、ルオーの力量のたしかさ、センスの良さをいやおうなく認識させられてしまうのです。

 ところで、彼はこの作品を下敷きにしたと思われる、パリの国立近代美術に所蔵されたもう一つの油彩作品には、あえて「見習い職人」というタイトルを冠しているのですが、そこにはとても深いルオー自身の想いがこめられているのだと思います。彼はそうすることで、自分を神の前に、本当に慎ましい無名の存在である…と言おうとしています。そして、自分が家具職人であった父親と同じ一介の職人であること….. そしてそれ以上に、どんなに数々の賞に輝いたとしても、生涯、一人前とは見なされない見習い職人である、と言おうとしているのです。そんなところにも、ルオーの謙遜な、慎み深い人柄が、ごく自然にうかがえるような気がします。

 ルオーは晩年、こんなふうに独白しています。
「自分の畑にいる農夫のように、私は絵という土地に縛り付けられていた。首吊りの縄をかけられた男さながら、鋤につながれた牛さながら、てこでも動こうとしなかったが、ただ、光と影と半濃淡と、数人の巡礼者の不可思議な顔立ちとをじっと見つめるためにのみ、形と色彩と捉えがたい調和とを、墓の彼方までその忠実な記憶をもってゆくだろうと信じるまでしっかりと記憶の底に銘記するためにのみ、私は仕事から顔を上げるのであった」。

 真摯に、絵画を通して神を知ることに生涯を捧げたルオー…..。 ルオーの一生は、まさしく20世紀絵画における『神曲』…..それも、何よりもキリストに捧げられた長い長い神の物語だったのです。

★★★★★★★
アメリカ、 ミシガン大学美術館蔵



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