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「聖ルチア」

フランチェスコ・デル・コッサ (1470年)

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 とてもとても美しいけれど、なにか不思議な感じのひと…..それは、瞼がとても重たそうな、視線が定まらないような、そして深い悲しみを噛みしめているような….そんな感じだからでしょうか。しかし、そういうこととは違う、もっと不思議な……と思って彼女の持ち物をよく見ると、一瞬、この絵はマグリット?…と、時代が急降下したようで、クラクラとめまいを覚えてしまうのです。彼女が優雅に手にしているのは殉教者のしるしである棕櫚の葉、そして茎から花のように芽吹いている二つの眼球…。彼女はじつは、自らくり抜いた眼を持って佇んでいるのです。
 眼を持っているのに、ちゃんと目を開いているのはなぜ?….などと、野暮なことを言ってはいけないのです。この姿はこのまま、礼拝の対象として、素直に受け入れなければなりません。この女性の名は聖ルキア。ルチアともいいます。「サンタルチア」という歌の名前でもお馴染みです。

 聖ルチアはイタリアのシラクーサの殉教聖女で、ディオクレティアヌス帝のキリスト教迫害のもと、304年に没したと言われています。彼女は実際の歴史上の人物ですが、美術においては伝説に基づいた姿で描かれます。すなわち、彼女があまりに美しかったため、それに惹かれて多くの求婚者が後を断ちません。それで、それを退けるために敢えて自ら目をえぐってしまったというのです。しかし、神の力により奇跡的に治癒したと伝えられるところから、眼病の守護聖人とされるようになりました。この作品は、そんな聖ルチアの象徴的な姿なのです。
 ところで、「ルチア」という名は「光」を意味するギリシア語 Lux に由来しますが、その名のとおり、彼女は暗い世にあって一筋の光のような信仰を貫いた人でした。信仰心の篤かったルチアは、母親が病気になったとき、聖アガタの墓廟で一心に祈りを捧げました。すると母親は奇跡的に命をとりとめることができ、このことで、ルチアは感謝のしるしとして、財産を貧しい人々に惜しみなく施し、イエスへの愛を実践しました。これを知って、自分のものになるはずだった財産がどんどん減っていくことに激怒した婚約者は、裁判官パスカシウスに彼女がキリスト教徒であることを告げてしまいます。
 しかし、裁判にかけられたルチアは頑として改宗を拒否しました。そのためルチアは、火あぶり、溶かした鉛を耳に流し込む、歯を引き抜く、煮えたぎる油をかけるなどの数々の拷問を受けますが、それでも棄教することはありませんでした。最後には短剣で喉を貫かれて殉教したと言われますが、それでもルチアは司祭によって聖体を授けられ、静かに息を引き取ったといいます。

 殉教当時、聖ルチアはまだ20歳だったといいますから、コッサの描くルチアは、もう少し年長のようにも見受けられます。しかし、当時のローマの皇帝であったディオクレティアヌス帝のキリスト教徒に対する迫害は尋常ではなかったと言われていますから、伝説とは別に、ルチアの最期はどんなにかつらいものだったか、と察せられます。この痛ましいほどの悲しみを秘めた表情も、そんなところから、とても深く納得できるような気がします。

 ところで、コッサはイタリアのフェラーラ派の画家で、同時代のトゥーラとは多分に類似点を持っています。その画風は、トゥーラの持つ鋭い表現主義的傾向をみごとに受け継いでいますが、より典雅な、くつろいだ雰囲気を持っており、空間表現にはピエロ・デラ・フランチェスカ、人物表現にはマンテーニャ、またカスターニョの影響も見てとることができると言われています。しかし、作品全体に漂うときめくような優雅さ、侵しがたい美しさは、やはり彼の天才に負うところが大きいと言えるでしょう。

★★★★★★★
ワシントン、 ナショナル・ギャラリー Samuel H. Kress Collection 蔵



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