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「聖ユスティナと寄進者」

モレット・ダ・ブレッシア (1530年代)

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 美しく聖なるユスティナ…..。手を合わせ、彼女を見上げる寄進者について、詳しい記録は残っていません。しかし、彼の深い信仰心とユスティナを純粋に崇める心は、とても直截的に伝わってきます。
 聖ユスティナは、「アンティオキアのユスティナ」と区別しやすいように、「パドヴァのユスティナ」とも呼ばれます。これは、6世紀パドヴァで彼女の名を冠する聖堂が建立されたことからきているようです。やがて16世紀になって、ベネディクト会がこの聖堂を復興し、以後ユスティナ信仰が盛んとなり、パドヴァ、ヴェネツィアの美術に特に多くユスティナ像が見られるようになりました。
 ですから、ヴェネツィアとの何らかの関連が認められるとき、これは「パドヴァのユスティナ」と考えて間違いありません。この作品でも、聖ユスティナのまとう豪奢な衣装はヴェネツィア貴族のものであり、まるで緞帳を思わせるような分厚い布も、巨大な富を蓄積し、ルネサンス美術の一大中心地たる黄金期を迎えたヴェネツィアの、質感そのものを物語っているようです。また、遠景には当時のヴェネツィア風景が広がり、聖マルコ聖堂も見てとることができます。
 ユスティナは殉教者のしるしである棕櫚の葉を手にし、純潔の象徴としての一角獣をしたがえています。これは、16歳のとき、パドヴァへ向かう途中、ポー川の橋の上で皇帝マクシミアヌスの軍兵に捕らえられ、暴行を恐れて神に祈り、胸を剣で刺し貫かれて殉教したことからきているようです。16歳にしては堂々とした聖ユスティナですが、孤児とはいえ貴族の娘であった誇りと威厳も象徴されているのだと思われます。

 この力強い画面構成を実現させたモレット・ダ・ブレッシアは、16世紀北イタリアを代表する画家です。パドヴァでの修業でティツィアーノの影響を強く受けたとみられますが、その作品の多くは故郷ブレッシアの諸聖堂のための宗教画でした。モレットは同地サンティッシモ・サクラメント同信会の会員で、信仰心篤い人物でもあったのです。本名はアレッサンドロ・ボンヴィチーノということがわかっていますが、画家としての通称は故郷の名で通したわけで、そのあたりにも彼の思い入れの深さが感じられます。

 ところで、当時はちょうどマニエリスム絵画が盛んな時期でもありましたが、モレットの興味は飽くまでも無駄なものを排除した、本質的なものへの追求にありました。そこには、ヴェネツィアで学んだ確かな技量と彼の眼、そして彼自身の意志があったのでしょう。現在では、モレットの業績は、カララヴァッジオの先駆をなすものとの評価を受けています。

★★★★★★★
ウィーン美術史美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎キリスト教美術図典
        柳宗玄・中森義宗編  吉川弘文館 (1990-09-01出版)
  ◎西洋絵画の主題物語〈1〉聖書編
        諸川春樹監修  美術出版社 (1997-03-05出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
        高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)



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