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「聖セバスティアヌス」

マッティア・プレーティ (1660年ころ)

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 聖セバスティアヌスの処刑は、実際にこのように行われたのかもしれないと思わせる作品です。そのあまりのリアルさと劇的な光の扱いは明らかにカラヴァッジオの影響を感じさせ、印象的です。
 しかし、より洗練された手法、細部にわたるきめ細かい仕上がりが、やはりこの画家ならではの卓越した力量を実感させます。彫塑的に表現された聖セバスティアヌスの美しさは、処刑という陰惨な場面であることを忘れさせるに十分であり、ポーズは古典的ながら独創性を感じさせる、みごとな一作となっています。

 聖セバスティアヌスは、3世紀のディオクレティアヌス帝下、プラエトリアの防備軍で士官をしていましたが、ひそかにキリスト教徒となっていました。しかし、二人の仲間が信仰のために死を宣せられたとき、それを助けようとしたために弓矢による刑に処せられました。しかし、いずれの矢も急所をはずれたため、九死に一生を得たのです。ところがその後、彼は皇帝の前に出て、みずからの信仰を改めて公言したため、ついに棍棒で打ち殺されたといいます。そういう意味では、この作品では致命的な傷を負ったようには描かれていませんから、伝説に従っていると言えそうです。

 作者のマッティア・プレーティ(1613-1699年)は、カラブリア地方出身の画家であり、17世紀後半を代表する最も有力な画家と言われました。同じように画家であった兄のグレゴリオを頼ってローマに出てから驚くべき成功を収め、わずか29歳でエルサレムの聖ヨハネ病院騎士団(マルタ騎士団)の騎士号を授かっています。
 プレーティの特徴としてまず挙げられるのは、その好奇心かもしれません。彼は実にさまざまな様式に興味を持ち、各地を旅し、非常に多くの祭壇画を制作しています。そういう意味では、活動的で多忙な、おそらくはこの上なく充実した人生を送った画家であったと言えるような気がします。プレーティの興味はカラヴァッジオの写実主義から色彩豊かなヴェネツィア派の伝統と手法、そしてグエルチーノの初期作品に典型的な色彩と、いかにも動的な感情にまで及んだのです。
 そんなプレーティも、1661年にはマルタ島に移り住み、死ぬまでかの地に滞在したといいます。マルタ島の美しさが画家の心をしっかりとらえてしまったのでしょうか。マルタ島においてプレーティは、教会のための祭壇画、フレスコ装飾を制作し続けたのです。また、彼はしばしば故郷へ足を運んだといいますが、その町は彼の作品を飾るギャラリーのようであったといいます。

 この作品は、マルタ島へ渡る直前、画家の好奇心に満ちた、広範囲な旅行から得た数々の刺激の成果として制作されたものと言ってよいかもしれません。古典的でありながら斬新で魅力的な画面は、画家の性格を反映しているのでしょうか、何かとても不思議な明るさを感じさせるのです。
 ところで、この「聖セバスティアヌス」もモデルを使って描いたと思われます。マカロニ・ウェスタンのスターだったG・ジェンマに似た面立ちのモデルがいかにもイタリア人らしくて、この作品から伝わる明るさの原因も、そのあたりにあるのかもしれないと思うのです。

★★★★★★★
ナポリ、 カポディモンテ美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎イタリア絵画
       ステファノ・ズッフィ、宮下規久朗編  日本経済新聞社 (2001-02出版)
  ◎西洋美術史
       高階秀爾監修  美術出版社 (2002-12-10出版)



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