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「福者ヘルマン・ヨゼフ」

アンソニー・ヴァン・ダイク (1630年)

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 ケルンに生まれたヘルマン・ヨゼフは、12歳のときにプレモントレ会修道院に入って司祭となった中世ドイツの修道士です。彼は、聖母マリアに対する深い信仰心を持っており、多くのマリア讃歌を作ったことでも知られています。
 そんなヘルマンの前に、ある日、聖母が天使を伴って現れたといいます。この作品は、その時の様子をヴァン・ダイクが成熟期の軽やかな筆づかいで優雅に表現したものです。ヘルマンは崇敬してやまない聖母の差し出す手に触れようと、畏れつつ手を伸ばします。聖母を見上げる彼の目は夢見るようで、忘我の境地とはこのことを言うのでしょう。紅潮した頬、かすかに震える手など、その場の雰囲気が十分に伝わる、甘い情感漂う作品となっています。

 ヴァン・ダイクは、巨匠リューベンスに続く若い世代の画家として筆頭に挙げられる人物です。リューベンスもまた早くから彼の才能に注目していたのでしょう、17歳の頃から工房の有力な助手として登用しています。それは助手といっても、一部だけを担当させるというようなものでなく、画面全体の制作を任されることさえ珍しくないほどだったといいます。ヴァン・ダイクは、ここでリューベンスの強い影響を受けるのです。
 しかし、21歳で渡英しジェームズ1世に仕え、その後イタリアのジェノバを旅行して肖像画家としての地位を確立してからは、1632年に再渡英して、チャールズ1世の宮廷画家となって落ち着きます。イギリスに渡ってからのヴァン・ダイクはもっぱら肖像画を制作し、没後には彼の素描や油彩習作に基づいた肖像版画集が刊行されたほどの名声を得たのです。しかし、渡英前の彼の仕事は、むしろ宗教画や神話画が中心でした。この作品は、イタリア旅行によってティツィアーノの技法と詩情にあふれた表現を学んで帰国したときに描かれたもので、聖母や天使の美しくつややかな表現も、本当に印象的です。

 アントウェルペンにとどまっていれば、それなりの高い評価を得て安定した人生であったかも知れないところを、あえてイギリスへ渡ったのは、永遠に「リューベンスに次ぐ二番手の画家」と言われることを避ける気持ちがあったからなのかも知れません。

★★★★★★★
ウィーン美術史美術館蔵



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