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「無原罪の御宿り」

ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ (1769年)

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 「太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に12の星の冠をいただいていた」
と「ヨハネの黙示録」にある“子を宿した女”。その女性が聖母マリアと関係づけて考えられたのが13世紀のことでした。そして、その言葉が「無原罪」の基本的な設定の典拠とされたのです。

 信仰を持たない私たちには、どうも耳慣れない「無原罪」という言葉は、しばしば類推されるように、単に聖母マリアがその胎内にキリストを宿したことを指すのではありません。マリアの母である聖アンナがマリアを宿したことを示しているのです。それは、マリアはキリストの受肉のための器となるように運命づけられた女性であり、必然的に無垢なる存在でなければなりません。「至純なるもの」ということになります。ですから、全人類の中でただ一人、原罪の汚れを免れて、彼女自身が母の聖アンナの胎内に処女受胎されたことを指しているのです。

 そんな無垢なる存在のマリアは、このテーマの場合、普通、12、3歳の少女と規定されています。そして、白い衣装の上に蒼いマントを着け、手は胸に当てたり合掌したりして祈りのポーズをとる….そのように、著述家であり、異端審問所付美術監督官としても知られた画家フランシスコ・パチェコは、その著書の中ではっきりと述べているのです。そして、たいていの「無原罪の御宿り」の聖母マリアたちは、まったくその図像表現にのっとって描かれています。

 ところが、この作品のマリアは、その面立ちを見るとき、成熟した大人の女性であることに驚かされます。それも、まるでハリウッドの女優さんのような、華やかで高貴な香りにあふれた美しさ….まさしく天の女王たるマリアにふさわしい威厳が感じられるのです。このマリアの姿を見るとき、幼さの残るマリアを見慣れた目には、彼女がとても頼もしく、新鮮にうつります。彼女ならば、幾多の試練、悲しみにも耐えられたのではないか、神の子たるキリストをゆだねられるという運命をも、すべて納得して受け入れられたのではないか…そんな気がするのです。

 そして、彼女の足元には、竜の頭をもった蛇が踏みつけられています。これはもちろん、エデンの園での「エヴァの罪」から人間を解き放つ意味がこめられています。そして、「第二のエヴァ」の到来の予型が、蛇を踏む聖母というかたちで暗に示されているとも言われているのです。
 まだ可愛らしいマリアだと、どこか痛々しい印象が残ってしまいそうですが、18世紀最大のヴェネツィア派の画家ティエポロの描く聖母ならば、何かとても安心して見ていることができます。聖母の周りを飛び回る天使たちといっしょに、この方に黙ってすべてをお任せしましょう…..そんな気持ちにさせてくれるマリアなのです。

★★★★★★★
マドリード、 プラド美術館 蔵



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