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「希望」

ジョージ・フレデリック・ウォッツ (1886年)

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 地球と思われる球形に乗った女神は、目隠しをされ、壊れかけた竪琴を抱いています。その竪琴にはかろうじて一本の弦だけが残され、そこからつむぎ出されるかすかな音色に全身で耳を傾ける女神は、空気をふるわせる密やかな響きに、ひとすじの望みをつないでいるようです。その痛々しい姿に、人々は様々な想いを重ね合わせてきました。

 ウォッツにとって最も重要なこと、それは「物を描くのではなく、思想を描く」ことでした。ですから、彼のおそらく一番有名なこの作品にも、その霊感の源となる詩や戯曲などは現在でも特定されてはいません。そのせいでしょうか…この寓意画はかつて絶大な人気を集めましたが、ウォッツのこの種の作品の多くは内容が曖昧であると言われました。
 ウォッツは、初期にはエッティの影響を受けていましたが、ヴェネツィア派やミケランジェロの影響を何よりも強く受けて、当時の革新的なラファエル前派や印象派とはまったく異なる独自の道を歩みました。それは、古代彫刻への並々ならぬ愛情を抱いていたウォッツには、ごく自然なことだったかも知れません。そして、彼の興味はただ、「真に心に訴える」ための芸術にあり、それを線や色彩の崇高性によって表現することが何より大切だと感じていたのです。

 ウォッツは、1867年にロイヤル・アカデミーの会員に選出されましたが、実際に世間にその名が知られるようになるのは、もっとずっと遅く….1880年以降のことでした。やがて彼はイギリス美術界の重鎮となり、1902年には名誉あるメリット勲章の最初の叙勲者の一人となりました。そして、どちらかと言えば、肖像画家として名声を博したのです。
 しかし、もしかすると、ウォッツはだいぶ不満だったかも知れません。なぜなら、彼の寓意画家としての評価は肖像画ほどには高まることがなかったからです。彼にとって、一番大切な「思想を描いた」作品は、出典が明らかでないという理由だけで、次第に人々から忘れ去られてしまったのです。

 現在、ウォッツが最晩年を過ごしたギルドフォードに近いコンプトンの家は、ウォッツ・ギャラリーとなって、彼の作品が所蔵されています。最後まで寓意画を描き続けた彼の意志は、この作品のなかの女神のように一筋の希望を求めて、今も確かに息づいているのです。

★★★★★★★
ロンドン、テイト・ギャラリー 蔵



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