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「奴隷船」

ジョーゼフ・マラード・ウィリアム・ターナー (1840年)

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 別名『死者と瀕死者を海に投げ込む奴隷商人-暴風雨の襲来』とも呼ばれたこの絵は、ターナーの作品の中でも最も壮観なヴィジョンの一つであると言われています。
 彼は、前年に読んだクラークスン著『奴隷貿易廃止史』の中のある事件から想を得て、この作品を制作しました。その事件とは、ある奴隷船で伝染病が発生したとき、奴隷たちに海難保険はかけてあったが病気による場合の保険はかけていなかったため、船長が彼らを生きた積荷のように海に投げ捨て、海難事故に見せかけようと画策したものでした。

 さらにターナーは、18世紀の詩人ジェイムズ・トムソンの有名な詩『四季』の一節も考慮に入れています。そこでは、暴風雨の中で、鮫が汗みずくの奴隷たちの臭いや、悪臭をはなつ病気や死の臭いにおびき寄せられ、船につきまとう様子が描写されています。おそらく、タイトルの中で、奴隷商人の暴挙と暴風雨を結び合わせているのも、そのためなのでしょう。ターナーが海を描いた作品の中でも、これほど黙示録的性格を持つものはほかにないと思われます。鳥や魚が死者に群がり、空と海は不吉な赤に染まり、世界の破局が一切のものを…幻想的な海すべてを呑み込もうとするかのようです。

 しかし、この凄惨さに衝撃を受けながらも、赤く染まって燃え上がるような空とそれを反映してうねる海、今にも世界の果てに消滅しそうな船の姿に、得も言われぬ美しさを見てしまうのです。ターナーの、あふれるばかりの情感を、ここに描かれた情景への畏怖の念を越えて、それそのものとして味わってしまうのです。

 ターナーは、一歳違いのジョン・カンスタブルとともに、19世紀イギリス・ロマン派の代表的画家です。しかし、彼はロマン派の詩的さよりも、現実への深い、しかも独自の関心を描いていきました。カンスタブルはそんなターナーの作品を、「淡く色づけした蒸気で描いた軽やかな幻影」と、非難の意をこめながらも鋭く指摘し、ある意味では称賛しています。風景画は観察し得る事実に基づかねばならないもので、何であれ空想の飛躍は慎まねばならないとの信念を持ち続けた生真面目なカンスタブルらしい反応と言えるかも知れません。

 ところで、『奴隷船』完成後、ゲーテの『色彩論』が英語に翻訳されました。もしかしたら、ターナーはこれを読んだかも知れません。そのなかには、「黄色は楽しく、柔らかな刺激を呼び起こす性格をもち、朱色は温かさと喜びを暗示する」と記されていました。『奴隷船』は、そのタイトルを知らない人が見ると、ターナー自身、じつは全然予想していなかった感想を持つこともあったかも知れません。

★★★★★★★
ボストン美術館 蔵



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