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「女王メアリー1世」

アントニス・モル (1554年)

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 王族の威厳と、張り詰めたぎりぎりのプライドを保とうとする孤独と狂気が見る者を圧倒します。彼女は16世紀中頃のイギリス、チューダー朝の女王であったメアリー1世、ブラッディ・メアリーと呼ばれた女性です。
 彼女はヘンリー8世と最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの間に生まれ、エドワード6世早世の後、イギリス史上最初の女王となりました。母のキャサリンが熱心なカトリック信者だったことから、メアリーも敬けんな信者でした。ですから図らずも女王となったことでイギリス国教会のカトリック復帰策を打ち出し、スペインとの関係を回復するため一回り若いフェリペ2世と結婚、その要請でイタリア戦争に出兵し、結果的にフランス内のイギリス領土を全て失うこととなります。
 ところで彼女を「血のメアリー」と呼んだのは、カトリック教会の横暴を恨んでいた多くのイギリス市民でした。メアリーは非常に短期間でカトリックへの復帰を目指したため、それまで教会のプロテスタント化を進めてきた聖職者300名を焚刑に処したといいます。メアリー1世は血まみれの女王となったのです。ですからいまだにイギリスでは、彼女の人気は芳しくありません。

 その血塗られた女王を実感をもって見事に描いたのは、オランダ出身の肖像画家アントニス・モル(1520-1578年)です。彼は初期のころ、ユトレヒトでカトリックの騎士修道会であるマルタ騎士団の援助を受けて画家としての活動をしていたと思われます。やがて1547年にアントウェルペンで聖ルカ組合の一員となり、すぐにアラス司教アントワーヌ・ド・グランヴェルの後援を受けて神聖ローマ皇帝カール5世に拝謁、その後は多くの王侯貴族の肖像画を手がけることとなります。
 ポルトガル、スペイン、イタリアと旅を続けて1553年にイングランドに渡り、ここでこのメアリー1世を描くこととなりました。モルの手なれた肖像画はその衣装や宝石の細やかな描写に息をのむばかりです。王女の座る椅子に張られたビロードの質感も素晴らしく、その肌ざわりさえ十分に感じることができます。
 しかし、このころまだ38歳だったはずのメアリーのこのかたい表情には心ふたがれる思いがします。女性としての自信に満ち、輝いていてもおかしくない時期でありながら、彼女の顔は生気のないごつごつとした岩山のようです。モルは女王の揺れる内面まで正確に描いているのかもしれません。
 モルは恐らくこの後すぐにオランダに帰国し、寡婦であった妻と結婚、晩年は資産家として暮らし、1573年の仕事を最後に亡くなったとされています。最後まで端正で冷徹な視線を崩さない、仕事に忠実な肖像画家であったと思われます。

 ところで、女王はこの年、スペインのフェリペ王子と結婚しています。お見合い用の肖像画を見たメアリーは一目で恋に落ち、結婚の誓約をします。ただイギリス国民はこれに不満の意をあらわし、反乱を起こした州もありました。すると反乱を鎮圧したメアリーは、迷うことなく叛徒を処刑したといいます。さらに2回の想像妊娠を経験したメアリーは精神錯乱をさえ起こすようになり、フェリペはすぐに戻るからと言い残してスペインに帰り、そのまま帰国しませんでした。
 この肖像画から4年後、メアリーは病死しています。結婚も統治もカトリック復帰も思うままにならず、みずからを一番支持してくれた愛すべきイギリス国民をも残虐に処刑してしまった女王は、心にどんなマグマを抱えていたことでしょうか。
 このような言い方は不謹慎かもしれませんが、せっかくの肖像画、モルはたとえ本人をあるがままに描写するのが仕事だとしても、もう少し綺麗に描いてあげられなかったものかと思います。これでは血の色をしたチューダーローズを持たされた感満載の、性格のきつい頑固そうな女性が猜疑心に満ちた目でこちらを見ている絵にしか見えません。もしかするとモルは、女王を好きではなかったのでしょうか。後年、見る者にさまざまな想像や思いを抱かせるこの印象的な肖像画は、しかしモルの代表作の一つなのです。

★★★★★★★
マドリード、 プラド美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>

  ◎ビジュアル年表で読む 西洋絵画
       イアン・ザクゼック他著  日経ナショナルジオグラフィック社 (2014-9-11出版)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
       佐々木英也著  講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
       高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)



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