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「受胎告知」

ロレンツォ・ロット (1527年頃)

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 「受胎告知」という神秘の主題は、美術史上、数えきれないほどの多くの画家に描かれてきました。聖母マリアという存在を通して、神がキリストとしてこの世に現れること、そして新約時代の訪れを告げる象徴的な出来事は、飽くまでも厳かな、何よりも麗しい儀式のような趣さえ伴うものです。
 ところが、16世紀ヴェネツィア派の画家ロットの描いた『受胎告知』は、他の画家とは全く異なる解釈を示した、きわめて個性的で忘れ難い作品となっています。父なる神に遣わされた大天使ガブリエルの突然の出現に、室内は静寂を破られました。とっさのことに走り出す猫、驚きのためか画面のこちら側に何ごとかを訴える表情のマリア…。ここには、驚き、ためらい、受諾といった、受胎告知に定番の静謐さとは別な雰囲気があります。ある種の混乱が支配してさえいるようです。これほどに、こちらをドキドキさせる「受胎告知」が今までにあったでしょうか。両の手のひらをこちらに向け、戸惑いながら何かを問うように見開いたマリアの目に吸い寄せられ、時はどんどん流れていきます。

 しかし、部屋の中の調度類は、日常の何気ない表情のまま、注意深く丁寧に描き込まれています。ここに、尋常ならざる心理描写に優れたロットの特徴があります。いつもと変わらぬ日常生活の静けさと、天使が現れたことによる非日常の対照が、より強烈に際立って迫ってきます。聖母の純潔のしるしである白百合を携えた大天使の堂々とした体躯にも、なんとも不思議な違和感を禁じ得ません。こうした反古典主義的な雰囲気、屈折した心理表現は、遍歴の画家ロットならではと言えるところなのです。
 作者ロレンツォ・ロット(1480-1556年)を語るとき、しばしばティツィアーノの成功の人生と比較されるようです。ロットはヴェネツィアで修業したあと、トレヴィーゾ、マルケ、ローマ、ベルガモと各地を転々とし、ヴェネツィアに戻って間もなく、この作品を制作しています。ティツィアーノと同時代のヴェネツィア派の画家らしく、色彩の豊かさはみごとですが、デューラーなどの北方絵画の影響を受けたこともあり、明確な形態と輪郭、そして明快な光を追求することで、色調を主とするヴェネツィア絵画とは異なる方向への模索を続けていきます。
 しかし、ひととき成功を収めたものの、その神経質なぎこちなさの為か、やがて十分な注文を得られなくなり、作品じたいも、ためらいがちで不安定な雰囲気を醸し出すようになります。おそらくロットは、非常に繊細な神経を持った画家だったのでしょう。なかなか穏やかな境地を得ることができず、それゆえに各地を遍歴したようにも見受けられるのです。しかし晩年、修道僧となり、ロレートのサンタ・カーサの施療院に入ることで、やっと安らぎの時を迎えることができたと言われています。

 ロットは、人物描写に傑出した力を持っており、その肖像画は特に高い評価を得ています。ティツィアーノの様式を基盤としながらも、そこにロットならではの暖かく鋭い人間観察の目が生きた作品は、20世紀に入って再び見直されるようになりました。巨匠ティツィアーノと比較されながら、何故か陽の当たる道に恵まれなかったロットでしたが、現在の私たちはその個性的な表現、作風に、強く忘れ難いもう一つのヴェネツィア絵画を見ることができるのです。

★★★★★★★
レカナーティ市立絵画館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎新約聖書
        新共同訳  日本聖書協会
  ◎西洋絵画の主題物語〈1〉聖書編
        諸川春樹監修  美術出版社 (1997-03-05出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
        高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
        佐々木英也訳 講談社 (1989-06出版)
  ◎西洋絵画史WHO’S WHO
        諸川春樹監修  美術出版社 (1997-05-20出版)



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