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「ヨーロッパ橋」

ギュスターヴ・カイユボット (1876年)

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 1830年代の半ば、パリとサン・ジェルマン・アン・レー間を結ぶ鉄道が開通すると、19世紀末までにフランス全土は鉄道で結ばれました。真っ黒な煙を吐き出しながら走る機関車は、近代的なモティーフそのものでした。そして、パリの街なかに出現した巨大な駅舎に人々は驚き、生活の大きな変化を実感したに違いありません。
 それはもちろん、印象派の画家たちも同じでした。モネがサン・ラザール駅をテーマに12枚の連作を制作したのも1876年から77年にかけてであり、機関車の巨大さと堅固な姿、吐き出す煙と音の凄まじさに魅了された様子がはっきりと伝わってきます。

 カイユボットにとっても、サン・ラザール駅は格好の主題でした。ここは、印象派の画家たちが集ったパティニョール地区界隈に新しくできた駅舎だったのです。ただ、彼は駅そのものではなく、駅にかかる大きな橋の上の光景を印象的な視点で描きました。
 カイユボットらしい、広角レンズでとらえたような急激な遠近法は、ここでも健在です。私たちは、厳密に計算された正確な画面構成に惹き付けられます。明るい午後の光が画面全体を包み、一見のどかな光景でありながら、どこか孤独で緊張感のある作品です。それも、他の印象派画家とは一線を画したカイユボットならではの独自性かもしれません。
 画家は、幾度も習作を重ねてこの作品を完成させました。ミリ単位の誤差も許容できないカイユボットの完璧主義は、師である写実画家レオン・ボナの影響かもしれません。
 人物の配置にも、神経を研ぎ澄ませたことでしょう。こちらに向かって歩いてくる紳士は画家自身がモデルと言われています。連れの品のよい婦人に話しかける彼に向かって、犬が一匹歩いていきます。その傍らには、ボンヤリと橋の欄干に肘をついて下を眺める労働者ふうの男、そして午後のゆったりした影が画面に時間を与えます。さらに、蒸気機関車の吐き出す白い煙が青い空へとのぼり、まるで映画の一場面のような一瞬が、息を止めたように凝縮されているのです。

 ギュスターヴ・カイユボット(1848-94年)の、こうした新しい視覚のとらえ方、独特な光の効果は、彼がもう少し長く画業に専念すれば、後世に強い影響を与えるものだったに違いありません。ところが、彼はずっと、印象派のパトロン的存在とのみ認識されていました。
 それは、カイユボットが裕福な家庭に生まれ、父の死後は莫大な財産と自由を手に入れたことが大きかったと思われます。彼は印象派展のための会場費や額縁代、宣伝費の資金提供、さらには仲間たちの作品を高く購入することにも労を惜しみませんでした。カイユボットの積極的な援助が、印象派の画家たちにどれほどの恩恵をもたらしたかは計り知れません。ただ、そうした彼の行動が、画家カイユボットの存在感を薄めてしまったのかもしれません。
 さらに、ドガとの対立で印象派展から退いたあと、カイユボットはパリ郊外に土地と屋敷を持ち、悠々自適の生活を送ります。ガーデニングやボート競技などの趣味の領域だけでなく、議員活動にまで力を注いで多忙となり、いつしかパリ美術界とは疎遠となってしまったのです。

 しかし、近年、カイユボットの絵画は再評価され始めています。マネやドガと同様に富裕な都市生活者だった彼の今日的な視点は、注目に値します。ブルジョワ階級の人々を描きながらも、一人ひとりが自分の狭い世界以外には関心を向けず、孤独と自立性を抱えて生きていることをいち早く捉えた感覚は、同時代のどの画家にも見られないものでした。さらに、モネやピサロが描いたような美しい風景画にも傑出していた確かな技量は、もっと高く評価されて然るべきものだと改めて感じさせます。

★★★★★★★
ジュネーヴ、 プティ・パレ美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎印象派
       アンリ‐アレクシス・バーシュ著、桑名麻理訳  講談社 (1995-10-20出版)
  ◎印象派美術館
       島田紀夫著  小学館 (2004-12出版)
  ◎西洋美術史
       高階秀爾監修  美術出版社 (2002-12-10出版)
  ◎西洋絵画史who’s who
       美術出版社 (1996-05出版)



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