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「ミュンヘンのビアガーデン」

マックス・リーバーマン (1883-84年)

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 人々の笑いさざめく声が聞こえてきそうな平和な情景です。ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」を彷彿とさせる美しい作品ですが、少し違うのは、より写実的で、一人ひとりが緻密に描かれている点かもしれません。
 そこには、印象派の影響を強く受けながらも、伝統的なドイツ絵画の特徴を手放さなかった画家の、矜持のようなものを感じることができるのです。

 マックス・リーバーマン(1847-1935年)は、美術界を支配するアカデミーからの分離を宣言した「分離派」の中でも、「ドイツ印象派の三人組」の一人でした。
 彼は、まさに印象派誕生の時期にパリに滞在していました。印象派の台頭を目の当たりにしながら、リーバーマンはなぜか、バルビゾン派の戸外制作に関心を寄せたのです。バルビゾン派は自然主義的な風景画や農民画を写実的に描いた、コロー、ミレー、テオドール・ルソーなどに代表される一派でした。そこに惹かれたのは、ドイツ絵画に深く根付いた伝統がリーバーマンの中にも強く影響していたためと思われます。
 ドイツ絵画の一つの大きな特徴として、自然の風景や事物を細部まで丹念に細密に描き出すという手法があります。それは、印象派の光や風を瞬時にとらえるような手法とは対極にあるものであり、そのあたりがリーバーマンを慎重にさせたのでしょう。さらに、ドイツならではの風景描写に欠かせない濃厚な色調も、余りにも捨てがたいものだったのです。
 画家はその後、オランダを訪れ、17世紀の風俗画家フランス・ハルスらの素早い筆の運びに魅せられ、この作品に見られるようなリーバーマン独自のスタイルを完成させていったのです。

 リーバーマンの時代より遡ること400年前、ドイツ美術史上最大の巨人であり、ドイツ・ルネサンスを体現した画家アルブレヒド・デューラーは、イタリアからルネサンスを持ち帰った功労者でした。しかし、1880年代のドイツの画家たちがフランスの印象派をすんなり故国へ持ち帰るのは、ある意味至難のわざでした。それは、つい10年ほど前までの普仏戦争の記憶が生々しく、プロイセン側に立って参戦し、フランス軍と戦ったドイツ国民にとっては、印象派絵画もまた敵性文化といえるものだったからです。

 ところで、ここに描き出されれている「ビア・ガーデン」という文化は、19世紀の南ドイツ、バイエルン地方が発祥といわれています。ミュンヘン市内を流れるイザール河畔にあった醸造所が、夏の間だけテーブルとベンチを並べてビールを楽しむ場を市民に提供したのが始まりなのです。当時は食事を出すことが禁止されていたので、人々は食べ物を持ち込んで、それぞれに時間を過ごしたといわれています。

★★★★★★★
ミュンヘン、 ノイエ・ピナコテーク 蔵

<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
       高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
       佐々木英也著  講談社(1989-06出版)
  ◎印象派美術館
       島田紀夫著 小学館 (2004-12 出版)



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