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「マダムX」

ジョン・シンガー・サージェント (1884年)

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「Mark Haden’s Artchive」のページにリンクします。

 大胆なカットの胸元と、ラヴェンダー色に紅潮した横顔が鮮烈な印象を残すこの作品は、208.6×109.9㎝という大作です。見る者を圧倒する美しさは、おそらく多くの人々の胸をときめかせたに違いないと思われます。しかし、当時のサロンでは、大きなスキャンダルとなってしまったのです。

 ジョン・シンガー・サージェント(1856-1925年)は、アメリカの世紀転換期に位置する重要な画家です。フィラデルフィア出身の外科医の息子で、幼少期をローマ、ジュネーヴ、ニースなどの観光地で過ごしています。絵画はフィレンツェのアカデミーと、パリの肖像画家カロリュス・デュランの下で学び、早くから頭角を現し、20代ですでに人気肖像画家となっていました。
 サージェントの作品は、技術的にはベラスケスやマネの伝統を踏まえたアカデミックなものでした。絵の具をたっぷり含んだ筆でじかに描き、筆触はあえて隠さず、求められるままにモデルを美化して描く肖像画は上流階級の人々に人気を博しました。
 しかし、その巧みさは十分に評価されつつも、他の芸術家や批評家からは軽視されていたことも確かでした。評論家アンソニー・バートラムによれば、
「サージェントの悪いところは、モデルに魂を、絵に絵画的な意味を与えなかったことである。彼の絵は巧い手品師が大奇術を見せるのと似たところがある」
ということになります。

 そんなサージェントには、野望がありました。古い歴史を誇るフランスで、新興国アメリカ出身の自分を認めさせたい、という野望です。自分に寄せられる不当な評判も、くつがえしたかったに違いありません。
 そんなとき、画家はゴートロー夫人と出会ったのです。外国人でありながら、フランス人資産家と結婚することで成功し、社交界の花となった彼女の美しさにサージェントは魅了されたようです。もしかすると、
「異国で闘う同志として、フランス人たちをあっと言わせる作品をつくり上げましょう」
とでも説得したのでしょうか。画家は、夫人に肖像画のモデルとなってくれるよう頼み込み、彼女も、その熱心さに根負けしたようです。
 試行錯誤しながら完成した大作は、伝統を持たないアメリカ人としてのコンプレックスとプライドの二面性を併せ持った、この上なく美しい肖像画でした。ゴートロー夫人の中にも、華やかな社交界で活躍しながら、嫉妬や陰口に苦しむ孤独があったのかもしれません。画家とモデルの心は、いつの間にか通じ合っていたと解釈してもいいのではないでしょうか。
 ところが、二人の思いとは裏腹に、サロンに発表されると、この作品は非難の的になりました。発表当初、ゴートロー夫人の右肩のストラップが腕のほうまでずり落ちて描かれていたため、鑑賞者はそこに卑猥な想像を重ねたようです。夫人の魅力を最大限に表現しようとしたことが、裏目に出てしまいました。「マダムX」は、すっかりスキャンダラスな絵に堕ちてしまったのです。今では考えられないような、不当な非難ではあります。
 こののち、ゴートロー夫人は失意のうちに社交界を追われ、肖像画の受け取りも拒否して、画家の前を去りました。画家は、ストラップの位置を肩に戻し、結局、この絵は画家の手元に残ることとなりました。そしてサージェント自身は、新天地イギリスに渡り、やっと真の成功を手に入れることになるのです。

 それにしても、サージェントのたくさんの秀作は、それほど皮相的で魅力に乏しいものだったでしょうか。私たちは今、彼の描いた美しい肖像画を見たとき、素直に感動し、引き込まれてしまいます。そして、イギリスにおいては、18世紀のトマス・ローレンス以来失われていたイギリス肖像画界に、生き生きとした優雅さを取り戻したと高く評価されて今に至っているのです。
 サロンでのスキャンダル以来、サージェントとゴートロー夫人は二度と会うことはありませんでした。しかし、夫人の死後、画家はこの作品を、破格の安さで故国アメリカのメトロポリタン美術館へ売却しています。サージェントの最高傑作は、画家とモデルの熱い想いを秘めて、今も毅然とした横顔を見せているのです。

★★★★★★★
ニューヨーク、 メトロポリタン美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎迷宮美術館 第5集
       NHK迷宮美術館制作チーム  河出書房新社 (2008-11-20出版)
  ◎西洋美術館
        小学館 (1999-12-10出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
       高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
       佐々木英也著  講談社 1989/06出版 (1989-06出版)



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