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「バティニョールのアトリエ」

アンリ・ファンタン=ラトゥール(1870年)

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 1869年、パリ。バティニョール通りの「カフェ・ゲルボワ」には、マネを中心として若い画家たちが集うようになりました。

 「草上の昼食」でセンセーションを巻き起こしたエドワール・マネは、次代をになう芸術家たちの、クールベに続く次なるリーダーとなっていました。彼は1864年にバティニョール地区に転居しましたが、1866年ごろから、バティニョール通り11番地にあったカフェ・ゲルボワで友人たちと会合を持つようになったのです。
 この作品は、そんな彼らの友情と、マネへの敬意がわかりやすく描き出されています。公的な成功を夢見てサロン(官展)への挑戦を始めた若い画家たちは、新しい表現を求め、やがて、自主運営の展覧会の開催へと進んでいくことになるのです。

 作者のファンタン=ラトゥール(1836-1904年)は、19世紀後半に活躍したフランスの画家です。父はイタリア系の風景画家で、初めのうちは父親から絵の手ほどきを受けたようです。そして、1851年にパリに出てエコール・デ・ボザールに入り、サロン派の画家として評判の高いシャルル・グレールの画塾にも通うようになります。そこで、ドガやホイッスラーらと知り合い、クールベやマネとも親交を深めていきました。
 彼の作品は、大きく二つのジャンルに分けられます。肖像画ないしは群像肖像画、そして、美しい草花の画家としても定評があります。後者の繊細な色彩と熟練した手法は、殊にイギリスで人気を博しました。
 一方、集団肖像画には、マネと彼をめぐる交友関係を描いたものが多く、「ドラクロワ礼賛」「テーブルの一角」など、どれも似た雰囲気なのですが、その中でもこの作品は、初期の印象派仲間を描いたものとしてお馴染みです。

 この作品は、当時としては超前衛的な芸術家の集団肖像画であるにもかかわらず、1870年のサロンに出品が許可されました。登場人物は全部で8人。みな、名前を知られた人たちです。
 画面中央でカンヴァスに向かい、絵筆をとっているのはエドワール・マネです。彼はこの集まりの中心人物でした。その左側には、友人のドイツ人画家シェルデラー、その右の帽子の人物がルノワール、椅子に座っているのが批評家のザカリ・アストリュクです。彼は、印象派の画家たちと親交を持ち、パリの主要紙に印象派を支持する評論を掲載し、特にマネの擁護に努めた人物です。
 ルノワールの右に立つのは作家のエミール・ゾラ、次が音楽評論家のエドモン・メートル、そして、ひときわ背の高い人物がグレールのアトリエでルノワールと共に学んでいたバジールで、その右で顔を覗かせているのが、なんとなく地味な印象ですが、クロード・モネなのです。

 ところで、この作風でもわかるとおり、ファンタン=ラトゥールは堅牢な画面構成の画家であり、作風もいかにも筆跡の見えないアカデミックなスタイルです。この集団肖像画はなんと、前衛芸術家たちを描きながら、結局、サロンで3位に入選したのです。そのため、彼はいっそうサロンでの成功に力を注ぐようになり、結局、印象派展に参加することは一度もありませんでした。
 考えてみると、マネも結果的に印象派のメンバーと親交を持ちながらも、一度も印象派展には出品していません。これには、もしかすると、ファンタン=ラトゥールのアドバイスがあったのかもしれません。当時、印象派展に参加した画家はサロンへの出品が難しいとされていましたから、サロン入選にこだわり続けたマネにとって、印象派展への参加はあり得ない選択だったのかもしれません。

★★★★★★★
パリ、 オルセー美術館 蔵

<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
       高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
       佐々木英也著  講談社(1989-06出版)
  ◎印象派美術館
       島田紀夫著 小学館 (2004-12 出版)



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