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「デルフトの家の中庭」

ピーテル・デ・ホーホ  (1658年)

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 ホーホ….。その名前を聞いただけで、また口にしただけで、ほっかりと心が暖かくなるのはその響きのせいだけではないと思います。
 17世紀オランダの、一般的な中流家庭の平和で静かな光景が、このホーホという名前に象徴されているような感じがするのかもしれません。暖かい陽の差し込む穏やかな日常が、ホーホの優しい眼差しを通して私たちの心に静かに流れ込んでくるようです。

 ホーホはこの作品でも見られるような母と子が織りなす何気ない情景、殊に室内や庭の場面、中庭での光景を得意としていました。お母さんに手を引かれ、これからお昼の仕度のお手伝いでもするのでしょうか。少女の眼差しは信頼感いっぱいに母に注がれ、エプロンの端をちょっとつまんだ仕草の愛らしさには、思わず知らず微笑んでしまいます。こんなに優しい光景を、私たちはずっと長いあいだ、忘れてしまっていたような気もします。日常のようでありながら、じつはここには永遠の時が静かにゆっくりと流れているのかも知れません。決して裕福ではないけれど、かけがえのない満ち足りた時…..ホーホの絵画には、いつも穏やかな幸せが凝縮されているのです。

 ピーテル・デ・ホーホは、17世紀のオランダ風俗画を代表する画家で、1650年代からデルフトで活躍しました。風俗画というのは、人々のごくありふれた生活を描いた絵画のことですから、古代より多くの画家がさまざまな場面で描いてきたものです。しかし、もっとも多くの風俗画が描かれたのは、やはり17 世紀オランダにおいてであったと思います。この時代、オランダの画家たちの目は、身の回りの世界の細やかな出来事に注がれていました。そして、そこに生きる人々の様子を生き生きと描き出していったのです。
 風俗画は、当時の美術理論からすれば、聖書や神話の物語を描いたものよりはずっと格が低いとされていました。しかし、オランダにおける風俗画の需要は、他のヨーロッパ諸国に比べてたいへんに多かったのです。それは、新教が宗教画の礼拝を禁じたためにカトリックの国に比べて宗教画を必要としなかったという事情があったようです。そしてまた、市民階層が親しみやすく分かりやすい絵画を求めたということも、風俗画を盛んにしていった大きな原動力だったと言えそうです。

 そんななかで、オランダの代表的な風俗画家と言って、まず誰もが知っているのがフェルメールということになると思います。しかし、フェルメールの静謐な世界は、もしかすると「風俗画」という言葉で表現してしまうのは、ちょっと違うのかも知れないと思わせます。また、フェルメールの作品は圧倒的に室内のものが多く、このように空気が通い陽の光が直接身体に伝わるような光景が描かれることはほとんどありませんでした。そんな親しみやすさが、何よりもホーホの魅力だったかも知れません。
 ホーホはこの後、1667年頃にアムステルダムに居を移して活動を続けますが、次第にその作品は質を変え、主に上流階級の社交場面など贅沢な嗜好になっていきます。それは、大理石の豪華な室内を選ぶような作品群でした。その頃にはもう、質素な煉瓦や漆喰の背景をもつ優しい情景は、彼の心の中では遠い遠い風景になってしまったのかも知れません。

 ところで、この作品には穏やかさだけでなく、とても謎めいた雰囲気があります。煉瓦の建物がくっきりと画面を二等分して、家の中と中庭が別世界のように分割されています。建物の中から外を見ている女性は、いったい誰なのでしょうか。その背中から察するに、中年の婦人かも知れません。女の子のおばあさんに当たる人でしょうか。親子二人の楽しい語らいに背を向けていることが、なぜかとても気になります。ここには、ホーホのなかにある、相反する二つの情感が、ひっそりと表現されているのかも知れない…..などと、ぼんやり想像しつつ、ホーホの世界の、意外な奥深さに時を忘れてしまうのです。

★★★★★★★
ロンドン、 ナショナル・ギャラリー 蔵



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